リポビタンのあゆみ リポビタンのあゆみ

誕生!リポビタンDの誕生と飛躍の足跡

アンプル剤が主流だった昭和30年代に、当時の社長・上原正吉(故名誉会長)による
斬新な発想や多くの社員の熱意からドリンク剤のリポビタンDは誕生しました。
市場に新風を巻き起こすリポビタンDの誕生秘話を、発売後の奮闘と併せて振り返ります。

「ポンキャップ」のリポビタンDがずらりと並ぶ店頭 「ポンキャップ」のリポビタンDがずらりと並ぶ店頭

「ポンキャップ」のリポビタンDがずらりと並ぶ店頭

発売当時の冊子 発売当時の冊子

発売当時の冊子

大胆な発想から生まれた革新的なドリンク剤

発売以来、皆様に愛されるリポビタンDですが、実は、前身となる医薬品がありました。時は昭和30年代、高度経済成長期のことでした。

社内の記述によれば「強肝解毒剤のタウリンという成分を戦前より研究し、自社製造していた」とあり、1949年に発売した「タウリンエキス」など、タウリンを主薬とする医薬品が次々と開発されていきます。

この流れを受けて、1960年2月に発売したのがリポビタンシリーズ第1号の「リポビタン(錠剤)」です。

そのわずか3か月後には、リポビタンDの原型となる「リポビタン液」が発売されました。

リポビタン(錠剤) リポビタン液 タウローゼC リポビタン(錠剤) リポビタン液 タウローゼC

特筆すべきは、20mLの液剤が入った「リポビタン液」です。

タウリンをはじめ、新しいビタミンとして注目を集めていたチオクト酸やオロチン酸などを配合し、各種肝臓疾患、各種中毒、疲労回復、虚弱体質などの効能効果を謳っていました。

剤形は、密封容器のアンプル剤。容器の細い部分をポンと割ってストローで服用するタイプです。

当時を知る者によると、「発売後は、会社員が薬局・薬店でリポビタン液を飲む姿が随所で見られた」といいます。

アンプル剤が主流だった当時、第3代社長だった上原正吉は、「アンプル剤の大型を作ってみたら、おもしろいのではないか」とひらめきます。

さらに自書によれば、『大正製薬のアンプル剤は、味がよいとほめられていた。だが、この量をふやせば、薬くささはもっと薄れるし、飲みごたえのあるものになる。さらに味をつけ、冷やして、これまでのアンプル剤より、もっとうまいものにしたら、歓迎されるのではないか』と考えたのでした。

そうした動きの中で、1961年に、タウリンエキスの流れを汲む医薬品「タウローゼC」が、100mLドリンク剤として登場します。

この成功が、翌年誕生する「リポビタンD」へとつながります。

増え続ける注文に、応えるために全力投球!

晴れて産声を上げたリポビタンDは、のちに誰もが知る商品となりますが、発売当初は戸惑いを覚える社員もいたそうです。

「当時の売れ筋はアンプル剤。一方、新商品は『牛乳みたい』との印象を持たれ、薬局側の抵抗も強かった。

つまり一番のドル箱商品を捨てて、新商品を売り込まねばならないジレンマを抱えたわけです。

しかし、冷やすと確かに飲みやすく、その風味に納得。しかも効き目もある。これは理屈や第一印象ではないと思いました。そこで、薬局・薬店の方に冷やしたリポビタンDを試してもらうと、「これは良いね」と納得してもらえる。その時、この商品は売れると思いました」と、振り返ります。

積極的に営業を行う一方、広告宣伝も力を入れます。当時を知る社員が語るには、「アンプル剤のイメージを利用して『アンプル剤から一歩前進』『アンプル剤5本分のボリューム』などをキャッチコピーに」と、特長を前面に打ち出します。

その結果、注文は殺到。生産現場では、商品が途切れないように全力投球の状態へ。

発売の翌年に開かれた座談会では、「去年の約2倍を見込んでいましたが、6月頃には何十倍に。生産をまかなうために眠れない日も随分ありました」と明かす社員も。倉庫関係者も「できあがった製品は、倉庫に格納される間もなく出荷されていきました」と、当時の目まぐるしさを吐露します。

ヒットの根底には、服用感やタウリンに代表される成分の効き目はもちろん、生活者を思い、次代を見据えたアイデアや全社の協力体制があります。

しかも、前進する社会風土にマッチしていたことも追い風に。因みに、発売時の価格は、ビール(大びん)115円の時代に1本150円。60年後の現代は1本161円(税込み)です。物価が変わろうとも当時の価格を保っているのは、生活者に寄り添いたいという想いの表れです。

1963年に開かれたリポビタンD座談会 1963年に開かれたリポビタンD座談会

1963年に開かれたリポビタンD座談会

COLUMN

冷蔵ストッカーの誕生と変遷

「薬を冷やして飲む」というスタイルは、当時の薬局・薬店にはなかなか理解してもらえませんでした。

しかも当初は、牛乳用の冷蔵庫を転用していたというから驚きです。

ほどなくして、リポビタンD専用の冷蔵ストッカーが登場し、下の写真のように、ストッカーの上に多くの空き瓶が置かれるなど、「買ったらその場ですぐに飲む」というスタイルは浸透していきました。

また、冷蔵ストッカーは必要に応じて改良し、四方をガラスで囲んだタテ型冷蔵ストッカーや観音開きのワイドストッカーなどを経て、現在のオープンストッカーへと進化していきます。

1962年に登場した初代の冷蔵ストッカー 1962年に登場した初代の冷蔵ストッカー

1962年に登場した初代の冷蔵ストッカー

発売時の製造現場

発売当初、リポビタンDの生産を一手に引き受けていたのが、現在の本社社屋が立つ「高田第6工場」です。

専用ラインは1本を予定していましたが、2ラインに変更。

しかし、発売した翌年の夏頃には2ラインをフル稼働しても需要に応えられない状況になると判断し、昼夜2交代制の連続操業に踏み切ります。

当然、本来の担当者だけでは人が足りず、人事部の協力によって、研究部門やほかの工場などから応援を招集し、この状況を乗り切りました。

1962年に登場した初代の冷蔵ストッカー 1962年に登場した初代の冷蔵ストッカー

1962年、高田第6工場のリポビタンD製造ライン