「オールブラックスは、世界でいちばん有名なスポーツチームのニックネームだ」そう話してくれたのは、ニュージーランド人のジャーナリストだった。つまり、オールブラックスはニュージーランドの人たちにとっての誇りであり、彼らにとっては文化的な財産なのである。
「オールブラックス」というニックネームが用いられるようになったのは、1905年から1906年にかけて行われた英国遠征の時のこと。その起源については諸説あるが、そのひとつが英国の新聞の誤植説である。
ニュージーランドの圧倒的なバックス攻撃を、記者が ”All Backs” と表現していたところ、印刷段階でなぜか “All Blacks” と誤植されていたーーというのが発端という説だ。ニックネームの始まりがハッキリしないことさえも、伝説の一部として彩られているのだ。
以来、100年以上にわたってオールブラックスはニュージーランドの代名詞であり、選手たちのジャージの左胸のシダ、「シルバー・ファーン」があしらわれた黒いジャージは、まさにラグビーの象徴といえるだろう。
オールブラックスの戦績も伝説にふさわしく、1987年から始まったワールドカップでも過去最多3度の優勝を誇る。常に世界のトップを走り続け、他国からはThe Team to Beat”、倒すべきチームとして存在し続けているのがオールブラックスなのだ。
「オールブラックスは、世界でいちばん有名なスポーツチームのニックネームだ」そう話してくれたのは、ニュージーランド人のジャーナリストだった。つまり、オールブラックスはニュージーランドの人たちにとっての誇りであり、彼らにとっては文化的な財産なのである。
「オールブラックス」というニックネームが用いられるようになったのは、1905年から1906年にかけて行われた英国遠征の時のこと。その起源については諸説あるが、そのひとつが英国の新聞の誤植説である。
ニュージーランドの圧倒的なバックス攻撃を、記者が ”All Backs” と表現していたところ、印刷段階でなぜか “All Blacks” と誤植されていたーーというのが発端という説だ。ニックネームの始まりがハッキリしないことさえも、伝説の一部として彩られているのだ。
以来、100年以上にわたってオールブラックスはニュージーランドの代名詞であり、選手たちのジャージの左胸のシダ、「シルバー・ファーン」があしらわれた黒いジャージは、まさにラグビーの象徴といえるだろう。
オールブラックスの戦績も伝説にふさわしく、1987年から始まったワールドカップでも過去最多3度の優勝を誇る。常に世界のトップを走り続け、他国からはThe Team to Beat”、倒すべきチームとして存在し続けているのがオールブラックスなのだ。
世界のラグビー史に残る活躍をした背番号10のダン・カーター。キャップ数(オールブラックスの選手としてテストマッチに出場した回数を占める)は112を数え、世界最優秀選手にも3度輝いた。そのカーターが、オールブラックスの価値をこう話してくれたことがある。
「オールブラックスのプレースタイルは、自由な意思の表現であり、人種のモザイクであるニュージーランドの象徴でもあるんだ」事実、 オールブラックスには様々な国の選手が代表入りしている。
そしてそのプレースタイルは、 強固なFWプレーを基盤としながら、BKの選手たちは「即興」(improvisation)を楽しむかのようにボールを展開し、相手ゴールラインを陥れる。
カーターはいう。「ジャズの即興のように見えるかもしれないけど、アタックのルールのなかで、みんなが自由に表現してるんだよ」表現力が生むトライ。しかし、それは才能豊かなBKの選手たちだけが生むものではない。カーターは15人で戦うラグビーの価値を尊ぶ。
「相手が持ち込んだラック、モールでボールをFWの選手たちがもぎ取る、あるいは相手の反則を誘う。そのスキルは芸術なんだ。そうした力強い芸術があってこそ、素晴らしいプレーが生まれる。私は、オールブラックスのプレースタイルが、15人の力が結集されていることに誇りを持っているんだ」ラグビーの価値の体現。
メンバーが変わり、時代が進んでも、オールブラックスはそれを表現し続けている。
世界のラグビー史に残る活躍をした背番号10のダン・カーター。キャップ数(オールブラックスの選手としてテストマッチに出場した回数を占める)は112を数え、世界最優秀選手にも3度輝いた。そのカーターが、オールブラックスの価値をこう話してくれたことがある。
「オールブラックスのプレースタイルは、自由な意思の表現であり、人種のモザイクであるニュージーランドの象徴でもあるんだ」事実、 オールブラックスには様々な国の選手が代表入りしている。
そしてそのプレースタイルは、 強固なFWプレーを基盤としながら、BKの選手たちは「即興」(improvisation)を楽しむかのようにボールを展開し、相手ゴールラインを陥れる。
カーターはいう。「ジャズの即興のように見えるかもしれないけど、アタックのルールのなかで、みんなが自由に表現してるんだよ」表現力が生むトライ。しかし、それは才能豊かなBKの選手たちだけが生むものではない。カーターは15人で戦うラグビーの価値を尊ぶ。
「相手が持ち込んだラック、モールでボールをFWの選手たちがもぎ取る、あるいは相手の反則を誘う。そのスキルは芸術なんだ。そうした力強い芸術があってこそ、素晴らしいプレーが生まれる。私は、オールブラックスのプレースタイルが、15人の力が結集されていることに誇りを持っているんだ」ラグビーの価値の体現。
メンバーが変わり、時代が進んでも、オールブラックスはそれを表現し続けている。
2011年の秋、ラグビーの取材でニュージーランドを訪れたときのこと、北島のオークランドの街中で、印象的なシーンに出くわした。
小学生3、4年生くらいの男の子がラグビーボールを持ち、それをドロップキックをする時のようにボールを地面に弾ませながら登校していたのだ。ラグビーボールは楕円形。弾ませて、自分の手元に戻すのはなかなか難しい。ところが、その男の子はいとも簡単にボールを弾ませて学校へ向かっていた。
これは、強いはずだ。
このシーンを見て、そう思った。
ニュージーランドでは子どもの頃からラグビーに親しむ環境が整っている。ただし、ニュージーランドを構成する北島と南島、それぞれの町には独自の歴史と特徴があり、対抗意識が強い。
たとえば、北島最大の都市、オークランドは大都会でファンも流麗なプレーを好む。一方、南島の中でも南に位置するオタゴは寒冷地だが、農業が生活で大きな意味を持ち(ワインの生産地としても知られる)、FWのたくましいプレーに価値を見出す。
オークランドとオタゴのチームが対戦したとすると…… スタイル、価値観の戦いとなる。
それでも、ふだんはライバル関係にあるチーム同士の選手がオールブラックスの一員となれば、強い絆で結ばれることになる。
そこにオールブラックスの魅力がある。
2011年の秋、ラグビーの取材でニュージーランドを訪れたときのこと、北島のオークランドの街中で、印象的なシーンに出くわした。
小学生3、4年生くらいの男の子がラグビーボールを持ち、それをドロップキックをする時のようにボールを地面に弾ませながら登校していたのだ。ラグビーボールは楕円形。弾ませて、自分の手元に戻すのはなかなか難しい。ところが、その男の子はいとも簡単にボールを弾ませて学校へ向かっていた。
これは、強いはずだ。
このシーンを見て、そう思った。
ニュージーランドでは子どもの頃からラグビーに親しむ環境が整っている。ただし、ニュージーランドを構成する北島と南島、それぞれの町には独自の歴史と特徴があり、対抗意識が強い。
たとえば、北島最大の都市、オークランドは大都会でファンも流麗なプレーを好む。一方、南島の中でも南に位置するオタゴは寒冷地だが、農業が生活で大きな意味を持ち(ワインの生産地としても知られる)、FWのたくましいプレーに価値を見出す。
オークランドとオタゴのチームが対戦したとすると…… スタイル、価値観の戦いとなる。
それでも、ふだんはライバル関係にあるチーム同士の選手がオールブラックスの一員となれば、強い絆で結ばれることになる。
そこにオールブラックスの魅力がある。
オールブラックスからは、次々に「レジェンド」が生まれてきた。
1987年、 ウィングのジョン・カーワンが見せた90m独走トライは世界の度肝を抜いた。オールブラックスには、こんな選手がいるのか、 と。後に「JK」ことカーワンは、日本代表のヘッドコーチとなり、日本との縁も深い。
また、オールブラックスは尊敬を集めるリーダーを輩出してきたチームでもある。
中でも148キャップを誇り、キャプテンとして110試合を戦ったリッチー・マコウはリーダーの中のリーダーだ。
マコウが残した名言に、こんな言葉がある。
「私は、魔法は信じない。私が信じるのはハードワークだ」
朴訥ではあるが、真理。仲間たちにハードワークの価値を知らしめたマコウの功績は大きいが、彼は2015年12月31日、35歳の誕生日にニュージーランドで最高の勲章であるニュージーランド勲章を史上最年少で受章した。
また、2020年から2021年にかけて日本でプレーしたボーデン・バレットは、現在進行形の「レジェンド」だ。
バレットは2016年、 2017年と世界最優秀選手に選ばれた。彼のスピードは数々のトライを演出するが、ディフェンスでの価値を話してくれたことがあった。「ファンのみなさんはトライに大きな拍手をおくってくれるけど、スピードは相手のトライを阻止するための武器にもなる。トライを防げば、仲間の信頼も厚くなるんだよ」
攻守両面、すべてのパフォーマンスを高いレベルで維持するのがオールブラックスのレジェンドなのだ。
オールブラックスからは、次々に「レジェンド」が生まれてきた。
1987年、 ウィングのジョン・カーワンが見せた90m独走トライは世界の度肝を抜いた。オールブラックスには、こんな選手がいるのか、 と。後に「JK」ことカーワンは、日本代表のヘッドコーチとなり、日本との縁も深い。
また、オールブラックスは尊敬を集めるリーダーを輩出してきたチームでもある。
中でも148キャップを誇り、キャプテンとして110試合を戦ったリッチー・マコウはリーダーの中のリーダーだ。
マコウが残した名言に、こんな言葉がある。
「私は、魔法は信じない。私が信じるのはハードワークだ」
朴訥ではあるが、真理。仲間たちにハードワークの価値を知らしめたマコウの功績は大きいが、彼は2015年12月31日、35歳の誕生日にニュージーランドで最高の勲章であるニュージーランド勲章を史上最年少で受章した。
また、2020年から2021年にかけて日本でプレーしたボーデン・バレットは、現在進行形の「レジェンド」だ。
バレットは2016年、 2017年と世界最優秀選手に選ばれた。彼のスピードは数々のトライを演出するが、ディフェンスでの価値を話してくれたことがあった。「ファンのみなさんはトライに大きな拍手をおくってくれるけど、スピードは相手のトライを阻止するための武器にもなる。トライを防げば、仲間の信頼も厚くなるんだよ」
攻守両面、すべてのパフォーマンスを高いレベルで維持するのがオールブラックスのレジェンドなのだ。