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リポビタンDと
小惑星探査機「はやぶさ」のストーリー

なぜ、リポビタンDは小惑星探査機 「はやぶさ2」プロジェクトを応援しているのか?そこにはこんな出来事もありました。

2010年、宇宙の旅から帰還し、世界を感動させた小惑星探査機「はやぶさ」。

数々の困難を乗り越え、この大事業を成功に導いたのはプロジェクトチームの不撓不屈の精神でした。

そのファイトの源には、リポビタンDの存在があったことをご存じですか?意外な形で始まった「はやぶさ」との絆をひもときます。

2003
「はやぶさ」、出発

2003年5月9日、地球からはるかかたなにある小惑星「イトカワ」を目指して小さな探査機が飛び立った。7年60億キロの途方もない旅が始まる。

2005
困難を極めた着陸、
2度のタッチダウン

2005年、イトカワの姿を初めてとらえた頃、「はやぶさ」には次々とトラブルが襲う。そんな中迎えた11月20日着陸(タッチダウン)の日。

プロジェクトチームは地上から信号を送りながら成功を祈った。しかし、イトカワは予想以上に凸凹していた。障害物を検出した「はやぶさ」は、2回ほど跳ね返りながら着地。その体を30分にわたりイトカワの表面に横たえた。
「ここに留まっていては熱くて危険だ」プロジェクトチームは、すぐに離陸するよう信号を送った。「はやぶさ」は、くるくると回りながら懸命に小惑星を離れていった。

このまま帰るわけにはいかない。もう一度小惑星のかけらを採りにいくため、
再びイトカワに向かう。今度こそ。そして、11月26日「はやぶさ」は見事2度目のタッチダウンに成功した。

そのころ地球では…

1回目のタッチダウンと連夜の徹夜でプロジェクトのスタッフの疲労は極限に達していた。そして最後のチャンスである2回目のタッチダウンを控えている。スタッフの間にも緊迫した空気が流れていた。

そんな中、管制室内にあるブログ執筆スペースでは全世界に向けてタッチダウンの歴史的瞬間を発信するためスタッフが詰めていた。
ブログが写真付きでアップされるとそこにはすでに飲み干された「リポビタンD」と執筆用のキーボードを支える2箱のリポビタンDのケースが、つつましく、いや堂々と映し出されていた。タッチダウンの様子を伝えるとともにこの執筆スペースの様子も掲載されている。
この様子は、日本国内のみならず、海外のインターネットユーザーの間でも話題になった。

この状況を見た大正製薬は、「はやぶさを応援している人を、応援したい」と、「はやぶさ」広報チームへ直接リポビタンDを送りプロジェクトチームメンバーのファイトを後押ししたのだった。
このことがきっかけでリポビタンDと「はやぶさ」との絆が生まれ、現在に至っている。

無事着陸に成功した「はやぶさ」。
しかし、「はやぶさ」の機体には異変が起き始めていた。着陸の衝撃によって燃料が漏れだしたのだ。
イトカワを後にした「はやぶさ」の姿勢が再び乱れはじめた。
とうとう「はやぶさ」は、広い宇宙で行方不明となってしまった…。

音信不通から約2か月後の2006年1月、
「はやぶさ」プロジェクトチームは宇宙のかなたを漂っていた「はやぶさ」をかすかに捉えた!
だが、「はやぶさ」の機体はもはやボロボロだった。
しかし、あきらめる者は誰もいなかった。
地球帰還に向けてイオンエンジンを再起動し、イトカワの軌道を離れる。

2010
さよなら、小惑星探査機「はやぶさ」

2010年6月13日、帰還の日。
管制室には約40人が詰めかけ、その瞬間を見守った。
地球に近づく「はやぶさ」。だが、地球帰還は、「はやぶさ」本体の消滅を意味していた。カプセルを切り離した後、大気圏に突入する前にカメラを作動すると、最後の一枚には「はやぶさ」が目にした地球が映っていた…!

帰還したカプセルの中には、イトカワの微粒子が残されていた。
この宇宙のかなたから持ち帰った微粒子を基に、現在も、世界中の研究チームによって多くの発見がもたらされている。

「はやぶさ」とプロジェクトチームそしてリポビタンDの想いは「はやぶさ2」へ…

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