1990年3月
東京大学理学部地球物理学科卒業
1992年3月
東京大学大学院理学系研究科地球物理学専攻修士課程修了(理学修士)
1998年9月
ブラウン大学大学院地球科学博士課程修了
1999年2月 東京大学理学系研究科助手東京大学新領域創成科学研究科教授
2009年6月
東京大学理学系研究科助手
2009年6月
東京大学新領域創成科学研究科教授
2014年10月
東京大学理学系研究科教授(現職)
1990年3月
東京大学理学部地球物理学科卒業
1992年3月
東京大学大学院理学系研究科地球物理学専攻修士課程修了(理学修士)
1998年9月
ブラウン大学大学院地球科学博士課程修了
1999年2月 東京大学理学系研究科助手東京大学新領域創成科学研究科教授
2009年6月
東京大学理学系研究科助手
2009年6月
東京大学新領域創成科学研究科教授
2014年10月
東京大学理学系研究科教授(現職)
2020.12.25
2020.12.25
──宇宙に興味を持たれたきっかけはどのようなものだったでしょうか?
小学校6年生の頃から近所の科学クラブに通うようになったのですが、それが大きいですね。
地学の先生が作られた浜北少年科学クラブというものだったのですが、実は今でも盛んな活動が続いています。
もともと理科は好きだったのですが、科学クラブで教えてくれることはさらに面白かったんですね。 「面白い」という気持ちがあれば、つらいこと、苦しいことでも頑張れると思うんです。
そして、子どもの頃に感性を刺激されることはすごく重要だと思いますね。
私はそのような経験をして、今の道をたどることになりました。
──大学もその影響で理学部に進まれたのでしょうか??
研究者になりたい、という思いはありましたね。
もともと石が好きで、宇宙への興味も強かったので、岩石の惑星を研究できる地球物理学科か地質学科に進もうと決めていました。
物理の方がどちらかというと得意でしたので、地球物理学を専攻しました。
──そのような中で、「はやぶさ2」のカメラPIを引き受けた理由はどのようなことだったのでしょうか?
宇宙科学研究所にいらした、飯島祐一さんの影響が大きかったですね。
彼は宇宙科学研究所で惑星探査を推進する仕事を行っていましたが、病に冒され、体調も日に日に悪くなっていました。
そんな中、2011年秋でしょうか、「俺の命はもうあまり長くない。なので、はやぶさ2のカメラ開発を引き受けてもらえないか」と言われたのです。 彼の命をかけた決断に、私としても応えたいと思いました。
──でも、惑星探査は負担も大きいですよね。
はい。開発には時間もかかりますし、組織の合意をとるための会議に頻繁に出席したり説明文書を作ったりするために負担も大きくなります。
私自身どうしようか迷っていたのですが、最後は「自分がどうこれから生きていくのか」という将来のビジョンの中で選んだという感じでしょうか。
──それが飯島さんの一言であったと。
今から思えば、「はやぶさ2」のカメラは彼が飛ばしたようなものかと思いますね。
「はやぶさ2」の他の多くの装置にも大きな影響を与えたと思います。
──宇宙に興味を持たれたきっかけはどのようなものだったでしょうか?
小学校6年生の頃から近所の科学クラブに通うようになったのですが、それが大きいですね。
地学の先生が作られた浜北少年科学クラブというものだったのですが、実は今でも盛んな活動が続いています。
もともと理科は好きだったのですが、科学クラブで教えてくれることはさらに面白かったんですね。 「面白い」という気持ちがあれば、つらいこと、苦しいことでも頑張れると思うんです。
そして、子どもの頃に感性を刺激されることはすごく重要だと思いますね。
私はそのような経験をして、今の道をたどることになりました。
──大学もその影響で理学部に進まれたのでしょうか??
研究者になりたい、という思いはありましたね。
もともと石が好きで、宇宙への興味も強かったので、岩石の惑星を研究できる地球物理学科か地質学科に進もうと決めていました。
物理の方がどちらかというと得意でしたので、地球物理学を専攻しました。
──そのような中で、「はやぶさ2」のカメラPIを引き受けた理由はどのようなことだったのでしょうか?
宇宙科学研究所にいらした、飯島祐一さんの影響が大きかったですね。
彼は宇宙科学研究所で惑星探査を推進する仕事を行っていましたが、病に冒され、体調も日に日に悪くなっていました。
そんな中、2011年秋でしょうか、「俺の命はもうあまり長くない。なので、はやぶさ2のカメラ開発を引き受けてもらえないか」と言われたのです。 彼の命をかけた決断に、私としても応えたいと思いました。
──でも、惑星探査は負担も大きいですよね。
はい。開発には時間もかかりますし、組織の合意をとるための会議に頻繁に出席したり説明文書を作ったりするために負担も大きくなります。
私自身どうしようか迷っていたのですが、最後は「自分がどうこれから生きていくのか」という将来のビジョンの中で選んだという感じでしょうか。
──それが飯島さんの一言であったと。
今から思えば、「はやぶさ2」のカメラは彼が飛ばしたようなものかと思いますね。
「はやぶさ2」の他の多くの装置にも大きな影響を与えたと思います。
左:オンラインインタビューの様子 右:職場にて
左:オンラインインタビューの様子 右:職場にて
──カメラ開発で苦労した点を教えて下さい。
基本的にはカメラ設計も先代を受け継いでいましたが、今回は目標天体が「C型小惑星」という、暗い小惑星でした。 そのため、カメラが受け取れる光量はグッと小さくなります。
また、表面の変化が乏しいということもわかっていました。そのような天体への対応も必要でした。
問題が起きたとき、単にそれを直すのではなく、直すためにどう予算と時間をプロジェクトチームから引き出すか(説得するか)という点は重要でした。 無限の時間をかけるわけにはいかないので、ある程度のところで決断を下さなければならない。 このような、プロジェクト特有の感覚に慣れるのには苦労しました。
──杉田先生のこれからの夢、挑戦したいことを教えて下さい。
リュウグウの起源の謎を解き明かしたいですね。
リュウグウにずっと関わっていると、リュウグウが愛おしくみえます。
リュウグウは実は、太陽系全体の初期進化を知る上で大変いいところにいる天体だと思っています。
皆様ご存知の通り、リュウグウはかなり暗い(黒い)天体です。 この色の黒さがどうも起源に結びついているようなのです。
炭素がどのような形で地球に届いたのか、サンプルが帰ってくれば、私たちが考えていることの「答え合わせ」ができるかもしれません。
──「はやぶさ2」のサンプル帰還を楽しみ待っていらっしゃる皆様へ、メッセージをお願いいたします。
これまでの私たちの解析結果を最新の理論に照らし合わせると、リュウグウは木星より遠いところで生まれた可能性が高そうなことが分かってきたのです。
しかし、カメラによる観測ではそこまでしか推測できません。サンプル分析でリュウグウの起源を知ることができれば、太陽系の起源についてものすごく大きな発見になると思います。まさしく「ジャックポット」を当てたことになります。
ただ、サンプル分析には時間がかかります。結果は少しずつ出てくると思いますので、ぜひ辛抱強く、期待してお待ちください。
──カメラ開発で苦労した点を教えて下さい。
基本的にはカメラ設計も先代を受け継いでいましたが、今回は目標天体が「C型小惑星」という、暗い小惑星でした。 そのため、カメラが受け取れる光量はグッと小さくなります。
また、表面の変化が乏しいということもわかっていました。そのような天体への対応も必要でした。
問題が起きたとき、単にそれを直すのではなく、直すためにどう予算と時間をプロジェクトチームから引き出すか(説得するか)という点は重要でした。 無限の時間をかけるわけにはいかないので、ある程度のところで決断を下さなければならない。 このような、プロジェクト特有の感覚に慣れるのには苦労しました。
──杉田先生のこれからの夢、挑戦したいことを教えて下さい。
リュウグウの起源の謎を解き明かしたいですね。
リュウグウにずっと関わっていると、リュウグウが愛おしくみえます。
リュウグウは実は、太陽系全体の初期進化を知る上で大変いいところにいる天体だと思っています。
皆様ご存知の通り、リュウグウはかなり暗い(黒い)天体です。 この色の黒さがどうも起源に結びついているようなのです。
炭素がどのような形で地球に届いたのか、サンプルが帰ってくれば、私たちが考えていることの「答え合わせ」ができるかもしれません。
──「はやぶさ2」のサンプル帰還を楽しみ待っていらっしゃる皆様へ、メッセージをお願いいたします。
これまでの私たちの解析結果を最新の理論に照らし合わせると、リュウグウは木星より遠いところで生まれた可能性が高そうなことが分かってきたのです。
しかし、カメラによる観測ではそこまでしか推測できません。サンプル分析でリュウグウの起源を知ることができれば、太陽系の起源についてものすごく大きな発見になると思います。まさしく「ジャックポット」を当てたことになります。
ただ、サンプル分析には時間がかかります。結果は少しずつ出てくると思いますので、ぜひ辛抱強く、期待してお待ちください。
<編集長からの一言>
杉田先生とは実は、30年くらい前、お互いに学生であった時代からの知り合いでした。私にとって杉田さんは「何でも話せる楽しいお兄さん」。
今回はまさにその30年前の雰囲気そのままのインタビューとなり、気がついたら私もその頃の若くて熱い時代にまた戻ってしまいました。
時が経つとお互いに「えらく」なるのですが、こういった昔からの付き合いが、研究者同士の信頼としてミッションの根底にある、ということを改めて思いました。
(インタビュアー:月探査情報ステーション 編集長 寺薗淳也氏)
※インタビューは、小惑星探査機「はやぶさ2」カプセル帰還前の11月16日に行いました。
<編集長からの一言>
杉田先生とは実は、30年くらい前、お互いに学生であった時代からの知り合いでした。私にとって杉田さんは「何でも話せる楽しいお兄さん」。
今回はまさにその30年前の雰囲気そのままのインタビューとなり、気がついたら私もその頃の若くて熱い時代にまた戻ってしまいました。
時が経つとお互いに「えらく」なるのですが、こういった昔からの付き合いが、研究者同士の信頼としてミッションの根底にある、ということを改めて思いました。
(インタビュアー:月探査情報ステーション 編集長 寺薗淳也氏)
※インタビューは、小惑星探査機「はやぶさ2」カプセル帰還前の11月16日に行いました。