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インタビュー企画

Challenger5

宇宙飛行から10年、新たな時代へのチャレンジ

宇宙飛行士
山崎直子

1993年 東京大学工学部航空学科卒業
1994年 ロータリー財団国際親善奨学生としてメリーランド大学留学
1996年 東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻修士課程修了
1996年 宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構、JAXA)に入社
1999年 国際宇宙ステーション(ISS)の宇宙飛行士候補者に選出
2004年 ソユーズ宇宙船運航技術者の資格取得
2006年 スペースシャトル搭乗運用技術者の資格取得
2010年 ディスカバリー号で宇宙へ。ISS組立補給ミッションSTS-131に従事
2011年 JAXA退職
【現在】
内閣府宇宙政策委員会委員、一般社団法人Space Port Japan代表理事、日本宇宙少年団(YAC)アドバイザー、松戸市民会館名誉館長、立命館大学教授、女子美術大学客員教授、日本ロケット協会理事・「宙女Sorajo」委員長などを務める

2020.8.24

星好きな少女が
宇宙への道を歩むまで

日本人女性として二人目の宇宙飛行士であり、2010年4月にスペースシャトル ディスカバリーに搭乗し、ロードマスター(物資の移送責任者)として移送物資の管理や、作業の指揮をご担当された山崎宇宙飛行士。 寺薗編集長と旧知の仲である山崎氏に、宇宙飛行士を目指すようになったきっかけから、宇宙への「間口を広げる活動」まで、その歩みを振り返りながら今の活動への想いをお聞きしました。

--宇宙飛行士を目指そうと思った理由はどのようなことだったのでしょうか?

私が幼稚園から小学校の頃を過ごした北海道は、星がきれいでした。自然に星空への興味が湧いていましたね。
あと、テレビ番組の影響もあるでしょうか。私が小さい頃はアニメ「宇宙戦艦ヤマト」を放映していて、兄がそのファンでした。 私はチャンネル争いをする方でしたが(笑)、付き合ってみていたら、結構面白いんですね。

--「ヤマト」ですか。そうすると直子さんは小さい頃から宇宙飛行士に憧れていたのですね。

いえ、小さい頃はむしろ、先生になりたいと思っていました。そんな中、1986年のスペースシャトルの事故が起きるのです。

--「チャレンジャー号」爆発事故ですね。

あのとき、世界初の宇宙教師(宇宙から授業を行う宇宙飛行士)として、クリスタ・マコーリフさんが乗り組んでいたのですが、彼女も事故で犠牲になりました。 大きなショックを受けたのと同時に、私も彼女のように、宇宙から教育をしてみたい、そんな思いも芽生えたのです。

先生からエンジニアへ
そして宇宙飛行士へ

--この思いが宇宙飛行士へとつながっていきますが、そのためにまず東大工学部へ進まれるんですよね。

宇宙=最先端、でも完璧ではない。チャレンジャー号事故でそのことを痛感しました。それでも多くの人がチャレンジしている、そこに強く感激しました。 宇宙に携わるにはまずはエンジニア、そう思ったのです。

--そしてNASDA(宇宙開発事業団、現JAXA)へ…

宇宙に関われるならNASDAだ、とは思っていたのですが、エンジニアということもあってか配属先は国際宇宙ステーション(ISS)の部署でした。 宇宙飛行士になりたいという思いはあったのですが、機会はいつかわからない。そんなとき、1998年に募集があったのです。

--宇宙飛行士選抜でつらかったことは?

試験前ですね。2次試験では1週間お休みを取らなければいけないので、その前に仕事を全部片付けておかなければいけなかったのです。 試験そのものは不思議な内容もありましたが、どちらかというと「楽しめた」という気持ちが強いですね。

--宇宙飛行士になってからは訓練機での訓練もありましたね。

T-38という訓練機ですね。『宇宙兄弟』にも出てきますが、ほぼあのような感じです。急上昇や急激な回転なども行うので、最初のループでは一瞬気絶してしまいました。

最後のスペースシャトルから、
新しい挑戦へ

--スペースシャトル搭乗後の2011年、JAXAを退職されました。

アメリカでは宇宙飛行士が退職して企業に移籍することもよくあります。私にとっても、宇宙開発関係者以外のネットワークが大切だという思いがありました。 そこで、宇宙への「間口を広げる活動」をしていきたい、と思ったのです。

--これからの宇宙開発、宇宙活動への期待を教えて下さい。

これまでの宇宙開発は政府主導で行われてきました。しかし、いまの状況をみてもおわかりの通り、政府の予算だけでは今や全ての宇宙活動を支えていくことはできません。民間の力を使っていく必要があります。 宇宙開発のうち地球周辺の技術が成熟してきている活動は民間が主導し、国はより挑戦的なことへと進む、そのような住み分けをしていくことが必要ですね。

--直子さんの宇宙飛行で、宇宙に行きたいと思った方も多くいらっしゃると思います。そのような方にぜひメッセージを。

宇宙開発は理系・文系の枠を超えたいろいろな技術の複合体です。いろいろな分野の人が力を合わせるところに宇宙開発の醍醐味があると思います。ぜひ、たくさんの方に関心を持ってもらえればと思います。

--最後に、直子さんのリポビタンDへのイメージをぜひ、教えて下さい。

試験の前のような特別なときにはよく飲んでいました。あの「ファイト一発!」のCMも大好きでした。リポビタンDと宇宙が結びつくとは子供の頃は全く思っていませんでした。 これから人が再び月に行くようになったとき、リポビタンDが役立つ、そんな時代が来るかも知れないですね。

リポビタンD [指定医薬部外品] 疲労回復
リポビタンDを片手に素敵な笑顔の山崎直子さんと寺薗編集長

1996年、私がNASDA職員として筑波宇宙センターで仕事をしていたとき、職場懇親会の席で直子さんと初めて出会いました。 ひと目で聡明な女性だとわかる理知的で、でも穏やかな人となりは、私に強い印象を与えました。それから四半世紀近く。宇宙飛行士を越えて、さらに新たなチャレンジへ歩を進めようとしている直子さん。 私たちみんなの未来のために、一緒に頑張っていきたいと思います。
(インタビュアー:月探査情報ステーション 編集長 寺薗淳也氏)


星加’s eye

「子どもの頃に、よくJAXAに南波くんたちが遊びにきていました。そんな彼らが成長し、宇宙飛行士選抜試験の会場で再会したとき、僕はとても心踊りました。 宇宙へ行きたいと思う人に出会うのは本当に嬉しいことです。 山崎さんは憧れの人がいて、宇宙飛行士になったとありましたが、今では山崎さんに憧れて、宇宙飛行士になりたいと夢を見る少年少女がたくさんいます。 そうやって、誰かの挑戦が道をつくり、どんどん宇宙事業が盛り上がっていくことは本当に素晴らしいことですね!」

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国立天文台水沢VLBI観測所 所長
本間希樹

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