1989.03 東京大学理学部天文学科 卒業
1992.04 日本学術振興会 特別研究員(DC)
1994.03 東京大学大学院理学系研究科天文学専攻博士課程 修了
1994.04 日本学術振興会 特別研究員(PD)
1995.08 国立天文台 COE研究員
1997.08 国立天文台 助手
1997.08 (併任) 総合研究大学院大学物理科学研究科天文科学専攻 助手
2002.06 国立天文台 助教授
2004.10 (併任) 総合研究大学院大学物理科学研究科天文科学専攻 助教授
2007.04 宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究所 教授
2007.10 (併任) 総合研究大学院大学物理科学研究科宇宙科学専攻 教授
2014.08 国立天文台 教授 (現職)
2016.04-2018.12 (併任) 国立天文台チリ観測所長
2016.04-2024.03 (兼任) 東京大学大学院理学系研究科 教授
2023.08 (併任) 総合研究大学院大学天文科学コース 教授 (現職)
1989.03 東京大学理学部天文学科 卒業
1992.04 日本学術振興会 特別研究員(DC)
1994.03 東京大学大学院理学系研究科天文学専攻博士課程 修了
1994.04 日本学術振興会 特別研究員(PD)
1995.08 国立天文台 COE研究員
1997.08 国立天文台 助手
1997.08 (併任) 総合研究大学院大学物理科学研究科天文科学専攻 助手
2002.06 国立天文台 助教授
2004.10 (併任) 総合研究大学院大学物理科学研究科天文科学専攻 助教授
2007.04 宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究所 教授
2007.10 (併任) 総合研究大学院大学物理科学研究科宇宙科学専攻 教授
2014.08 国立天文台 教授 (現職)
2016.04-2018.12 (併任) 国立天文台チリ観測所長
2016.04-2024.03 (兼任) 東京大学大学院理学系研究科 教授
2023.08 (併任) 総合研究大学院大学天文科学コース 教授 (現職)
2024.7.3
2024.7.3
■天文に興味を抱いたきっかけは、あの…
--阪本先生は、天文分野にどのようにして興味を持たれたのですか?
これを言うと 「また!」 といわれそうですが、実はテレビ番組 『COSMOS』 (コスモス) の影響なのです。
--あらら、私 (寺薗) と全く一緒じゃないですか…
中学3年生のとき、学校に1年だけ若い講師の先生が来られたのですが、その方が番組を紹介して下さったんですね。惑星科学者として時代をときめくカール・セーガンが、自ら番組を作り、テレビの中で語りかける。トップサイエンティストが語る 「人類は宇宙という大海原を前に、波打ち際で水遊びをしているに過ぎない」 という言葉にはしびれました。そのようなこともあって、宇宙の謎を解き明かす仲間になりたい、と思って、天文学者を志したんですね。
--でも、カール・セーガンはどちらかというと天文よりは惑星科学者ですよね。私はそちらを選んでしまいましたが、惑星科学者の道は考えなかったのでしょうか?
当時は、日本で太陽系探査を行えるとは思っていませんでした…少なくとも私は。それで、天文の方を目指したのです。
--そして、大学へと。
ところが大学に入ってみると、サークルや合コンや、いろんなことへのお誘いが多いんですよね。でも、大学でしかやれないことをしっかりやりたい、という思いもありました。運動部にもいろいろ勧誘されました。東大というとスポーツはさっぱりだというイメージがありますが、ボート部が強いことは知っていました。
■ボートに明け暮れた大学時代
--ボート!
そんな中、ボート部の部長だった先生から 「ボートに一生懸命になっても東大教授ぐらいにはなれる。君が今やるべきことはボートを漕ぐことだ」 と言われて、実際にその先生は元オリンピック選手で東大教授だったので、それならばボートで日本一を目指そう!オリンピックに出るんだ!そんなことを考えたんですね。…結局大学に行かなくなってしまいました。
--とすると、天文学者の道に進むのはかなり難しそうですよね。それでなくても東大は内部の進路振り分けが厳しい。
はい。天文学科の定員は当時6名。第一希望順に埋めていくので成績がかなり良くてもギャンブル要素があります。でも私はボートを漕ぐことで充実した学生生活を送っていたので、「恐れる」 ということを知らなかったのです。そんなときになんと、数年に一度しか起きない 「定員割れ」 が起きてしまったのです。私はなんと6人目として天文学科に進むことができました。周りからは 「おまえ、何やったんだ?」 と言われましたね(笑)。
--何という幸運! しかし、その後もそう簡単ではなかったですよね。
内定したとしても単位を落としたら進級できませんからね。黒いマジックで内定が消されるので 「黒マジック」 と言われていました。でもぎりぎり、通りました。
--そこは恐れない 「チャレンジャー」 の気持ちがあったんですね。
大学に入って何をやったんですか、と問われたときに、はっきりと 「ボート」 といえる。その強さはあったかと思います。
--就職も考えていたそうですね。
はい。当時はバブル景気真っ只中。就職するならいくらでも引く手がありました。ましてボート部のキャプテンともなればもう引く手あまたでした。すでに企業の内定ももらっていたのですが、せっかく希望の学科に入れたのだから大学院を一応受けてみようと思いまして。(ボートの) 全日本選手権の3日後、受験勉強ゼロで受けてみました。面接のときに教授の顔すら分からない状態で。でもまあ阪本は仕方ないだろう、ということで定員オーバーで私までとってもらいました。
--おお、よかった!
その後は、スポンジが水を吸収するように知識が入ってきたんです。ただ当時、天文学の主流は、光(可視光線)を観測する天文学、いわゆる光学天文学だったんですね。この分野に入り込むのは到底無理かと。そこで、あまりまだやられていなくて、小さい実験装置で済む 「サブミリ波天文学」 に進むことを考えたのです。
■駆け出しの研究者は、苦労の連続
--苦労されたこととかはありますか?
学部生のころあまりに勉強してなかったので(笑)、最新の知識についていくことが大変でしたね。一方で、研究の世界では暗記はしなくてもいい。その場で調べてもいいわけです。人に訊いてもいい。なので、研究自体ですごく困るということはありませんでした。ただ、調べることもそれなりに大変です。
--そうですね。調べるといっても、まずどこから手を付けるか…
やがて駆け出しの研究者となり、講義を受け持つようになりました。しかし…自分が大学時代、講義というものを全くといっていいほど受けていなかったもので、自分の経験が使えなかったんです(笑)。
--ありゃりゃ…
入試用の問題も作りましたが、うかつな問題は出せませんよね。しかも、自分が解けないような問題を出すのはいかがなものか。そこで、基本的な問題を1問と、読解力と思考力があれば高校生でも解ける問題を1問出しました。後の方の問題は研究者としての資質を問う良問だったと思っています。でもこれ、ボートの世界と同じなんですよね。例えばトレーニング。ただトレーニングすればいいだけではなくて、どのようにすれば最大の効果が得られるかを考えて突き詰める。これも研究なんですよ。こういうところでボートの経験が役立つわけです。
■そして、広報の道へ
--阪本先生が広報の道に進まれるようになったきっかけは、どのあたりにあるのでしょうか?
1990年代初頭ですかね。電波天文学の分野でALMA(アルマ)の前身の計画が構想され始めた頃でした。私自身は大学院生から関わってきた最初期のメンバーです。ALMA計画は大規模な計画です。国の予算を取らなければいけない。そのためには顔を突き合わせて概算要求資料を作らなければならなくなる。天文台内でも事務への説明が必要です。
■天文に興味を抱いたきっかけは、あの…
--阪本先生は、天文分野にどのようにして興味を持たれたのですか?
これを言うと 「また!」 といわれそうですが、実はテレビ番組 『COSMOS』 (コスモス) の影響なのです。
--あらら、私 (寺薗) と全く一緒じゃないですか…
中学3年生のとき、学校に1年だけ若い講師の先生が来られたのですが、その方が番組を紹介して下さったんですね。惑星科学者として時代をときめくカール・セーガンが、自ら番組を作り、テレビの中で語りかける。トップサイエンティストが語る 「人類は宇宙という大海原を前に、波打ち際で水遊びをしているに過ぎない」 という言葉にはしびれました。そのようなこともあって、宇宙の謎を解き明かす仲間になりたい、と思って、天文学者を志したんですね。
--でも、カール・セーガンはどちらかというと天文よりは惑星科学者ですよね。私はそちらを選んでしまいましたが、惑星科学者の道は考えなかったのでしょうか?
当時は、日本で太陽系探査を行えるとは思っていませんでした…少なくとも私は。それで、天文の方を目指したのです。
--そして、大学へと。
ところが大学に入ってみると、サークルや合コンや、いろんなことへのお誘いが多いんですよね。でも、大学でしかやれないことをしっかりやりたい、という思いもありました。運動部にもいろいろ勧誘されました。東大というとスポーツはさっぱりだというイメージがありますが、ボート部が強いことは知っていました。
■ボートに明け暮れた大学時代
--ボート!
そんな中、ボート部の部長だった先生から 「ボートに一生懸命になっても東大教授ぐらいにはなれる。君が今やるべきことはボートを漕ぐことだ」 と言われて、実際にその先生は元オリンピック選手で東大教授だったので、それならばボートで日本一を目指そう!オリンピックに出るんだ!そんなことを考えたんですね。…結局大学に行かなくなってしまいました。
--とすると、天文学者の道に進むのはかなり難しそうですよね。それでなくても東大は内部の進路振り分けが厳しい。
はい。天文学科の定員は当時6名。第一希望順に埋めていくので成績がかなり良くてもギャンブル要素があります。でも私はボートを漕ぐことで充実した学生生活を送っていたので、「恐れる」 ということを知らなかったのです。そんなときになんと、数年に一度しか起きない 「定員割れ」 が起きてしまったのです。私はなんと6人目として天文学科に進むことができました。周りからは 「おまえ、何やったんだ?」 と言われましたね(笑)。
--何という幸運! しかし、その後もそう簡単ではなかったですよね。
内定したとしても単位を落としたら進級できませんからね。黒いマジックで内定が消されるので 「黒マジック」 と言われていました。でもぎりぎり、通りました。
--そこは恐れない 「チャレンジャー」 の気持ちがあったんですね。
大学に入って何をやったんですか、と問われたときに、はっきりと 「ボート」 といえる。その強さはあったかと思います。
--就職も考えていたそうですね。
はい。当時はバブル景気真っ只中。就職するならいくらでも引く手がありました。ましてボート部のキャプテンともなればもう引く手あまたでした。すでに企業の内定ももらっていたのですが、せっかく希望の学科に入れたのだから大学院を一応受けてみようと思いまして。(ボートの) 全日本選手権の3日後、受験勉強ゼロで受けてみました。面接のときに教授の顔すら分からない状態で。でもまあ阪本は仕方ないだろう、ということで定員オーバーで私までとってもらいました。
--おお、よかった!
その後は、スポンジが水を吸収するように知識が入ってきたんです。ただ当時、天文学の主流は、光(可視光線)を観測する天文学、いわゆる光学天文学だったんですね。この分野に入り込むのは到底無理かと。そこで、あまりまだやられていなくて、小さい実験装置で済む 「サブミリ波天文学」 に進むことを考えたのです。
■駆け出しの研究者は、苦労の連続
--苦労されたこととかはありますか?
学部生のころあまりに勉強してなかったので(笑)、最新の知識についていくことが大変でしたね。一方で、研究の世界では暗記はしなくてもいい。その場で調べてもいいわけです。人に訊いてもいい。なので、研究自体ですごく困るということはありませんでした。ただ、調べることもそれなりに大変です。
--そうですね。調べるといっても、まずどこから手を付けるか…
やがて駆け出しの研究者となり、講義を受け持つようになりました。しかし…自分が大学時代、講義というものを全くといっていいほど受けていなかったもので、自分の経験が使えなかったんです(笑)。
--ありゃりゃ…
入試用の問題も作りましたが、うかつな問題は出せませんよね。しかも、自分が解けないような問題を出すのはいかがなものか。そこで、基本的な問題を1問と、読解力と思考力があれば高校生でも解ける問題を1問出しました。後の方の問題は研究者としての資質を問う良問だったと思っています。でもこれ、ボートの世界と同じなんですよね。例えばトレーニング。ただトレーニングすればいいだけではなくて、どのようにすれば最大の効果が得られるかを考えて突き詰める。これも研究なんですよ。こういうところでボートの経験が役立つわけです。
■そして、広報の道へ
--阪本先生が広報の道に進まれるようになったきっかけは、どのあたりにあるのでしょうか?
1990年代初頭ですかね。電波天文学の分野でALMA(アルマ)の前身の計画が構想され始めた頃でした。私自身は大学院生から関わってきた最初期のメンバーです。ALMA計画は大規模な計画です。国の予算を取らなければいけない。そのためには顔を突き合わせて概算要求資料を作らなければならなくなる。天文台内でも事務への説明が必要です。
国立天文台に展示されている 「アルマ望遠鏡12mアンテナ」 20分の1模型
アルマ望遠鏡は、南米チリ共和国北部・アタカマ砂漠の標高5,000mの高地に建設された、パラボラアンテナ66台を組み合わせた干渉計方式の巨大電波望遠鏡。日本が主導する東アジア、北アメリカ、ヨーロッパに設置国のチリを加えた22の国と地域による国際共同プロジェクトで、30年にわたる構想・建設を経て2013年に本格観測が始まった。
国立天文台に展示されている 「アルマ望遠鏡12mアンテナ」 20分の1模型
アルマ望遠鏡は、南米チリ共和国北部・アタカマ砂漠の標高5,000mの高地に建設された、パラボラアンテナ66台を組み合わせた干渉計方式の巨大電波望遠鏡。日本が主導する東アジア、北アメリカ、ヨーロッパに設置国のチリを加えた22の国と地域による国際共同プロジェクトで、30年にわたる構想・建設を経て2013年に本格観測が始まった。
--これはなかなか大変そうですね。
説明するといろいろなことを聞かれます。…「なんのために役に立つのですか?」 「これはどのような役目を果たす装置ですか?」 「すばる(望遠鏡)とは何が違うんですか?」 などなど。例えば、ALMA計画を 「大型ミリ波サブミリ波干渉計をチリに作る」 と説明したとします。まず言葉に何の共感要素もない。干渉計って言われても何だかさっぱりわからないし悪い印象すらある。さらには 「サブミリ波」 がサブリミナル波と受け取られてしまう。なんか怖そう。
--そちらだととんでもない分野違いになりますね(笑)
こういうことがあるので、伝言ゲームを避けてきっちりと計画について伝える必要がありました。ちょうどホームページというものが使える時期になったので、これを利用して、我々自身がしっかりとした情報を出すようにしました。
--ここで広報とつながるわけですね。
ちゃんとした情報をホームページに出しておけば、それが理解されていくんですよね。例えば想像図。どういうものがどうできるかをイラストで示せばわかりやすい。ちなみにイラストは私自身で作りました。
--これはなかなか大変そうですね。
説明するといろいろなことを聞かれます。…「なんのために役に立つのですか?」 「これはどのような役目を果たす装置ですか?」 「すばる(望遠鏡)とは何が違うんですか?」 などなど。例えば、ALMA計画を 「大型ミリ波サブミリ波干渉計をチリに作る」 と説明したとします。まず言葉に何の共感要素もない。干渉計って言われても何だかさっぱりわからないし悪い印象すらある。さらには 「サブミリ波」 がサブリミナル波と受け取られてしまう。なんか怖そう。
--そちらだととんでもない分野違いになりますね(笑)
こういうことがあるので、伝言ゲームを避けてきっちりと計画について伝える必要がありました。ちょうどホームページというものが使える時期になったので、これを利用して、我々自身がしっかりとした情報を出すようにしました。
--ここで広報とつながるわけですね。
ちゃんとした情報をホームページに出しておけば、それが理解されていくんですよね。例えば想像図。どういうものがどうできるかをイラストで示せばわかりやすい。ちなみにイラストは私自身で作りました。
ALMAの日米欧共同建設に関するプレスリリースで用いられた完成予想図。
これは、阪本教授がPhotoshopで加工して作成したもの
ALMAの日米欧共同建設に関するプレスリリースで用いられた完成予想図。
これは、阪本教授がPhotoshopで加工して作成したもの
そしてペーパークラフト。宇宙研広報では探査機のペーパークラフトも作りました。今日持ってきたALMA電波望遠鏡のペーパークラフトは、ちゃんと動くんですよ。
そしてペーパークラフト。宇宙研広報では探査機のペーパークラフトも作りました。今日持ってきたALMA電波望遠鏡のペーパークラフトは、ちゃんと動くんですよ。
ALMA電波望遠鏡のペーパークラフト
ALMA電波望遠鏡のペーパークラフト
■宇宙研広報へ
--電波天文学と宇宙研とはちょっとつながりにくい感がするのですが…どのようなお考えで移られたんですか?
当時、ALMAの総務的な仕事に携わっていたのですが、開発に仕事の重点がシフトする中で人事が停滞するのはよくないという考えがありました。そこで、「外からプロジェクトをサポートできる者は外に出ろ」 ということになりまして。宇宙研広報は、的川先生が一手に引き受けてらっしゃいましたね。一般的な広報だけでなく、打ち上げに伴う漁業交渉なども。その後任として公募で私が選ばれたのです。漁業交渉にはお酒の席がつきものです。私は体育会系ですし、「お酒はなんぼでも飲みます」と(笑)。
--ここで「さけもっと先生」(Xアカウント)の登場ですね(笑)
「酒を飲む量は教授級」 でした。教授人事として正しかったかどうかはわかりませんが(笑)、今考えれば私に向いていたんですね。いも焼酎をストレートで飲んでいましたので、さすがの鹿児島の人たちもびっくりしていました
■広報は、組織にとっての細胞膜である
--阪本先生にとって広報とはどんなものでしょうか?
私は、広報というのは組織における細胞膜だと思うんです。細胞膜は、細胞の中と外を仕切り、またもののやり取りをする重要な役目を持っています。組織が外の情報を取り入れ、また組織の中の情報を出す、そして組織を壊さない。広報はそんな重要な役目を持つのです。また私自身にとっては、組織の中だけでなく、外の世界と触れ合えるということも大変楽しいことでした。
--わかります。私自身も、広報活動を楽しいと思うのは、中の世界とは違うものを私たちが吸収できるからなんですよね。
難しいことを難しい言葉で話してしまうのは、本質がわかっていないからだと思うんです。不正確であってもわかりやすく、本質を突いて説明する。そういうスキルが試されていると思うんです。場数を重ねたことが大きかったかも知れません。漁業者に対してもそうでしたね。
--漁業交渉も本当に大変だった…
誠意を持つこと、漁業者の立場に立って考えることがすごく重要でしたね。例えば、モジャコ。ブリの稚魚ですが、5月上旬に鹿児島沖を流れ藻について流れていくのをすくって養殖します。そこにロケットを打つわけにはいきません。また、9月1日は底引き網漁の解禁日です。こういうことを知っていないと大変なことになります。2013年のイプシロンロケット試験機の打ち上げでは、8月27日の予定が打ち上げできなかったことがありました。打ち上げ日程が9月上旬にずれ込む可能性があるとわかって、私もその足で現地(愛媛県)へ説明のために飛びました。八幡浜からトロール船が出るので。
--大変だ、とかそういう気持ちはありましたか?
いえ、特になかったですね。私自身そもそも優秀じゃなかった。それなのに研究者としても早めに就職させてもらった。その恩返しに泥臭いことは引き受けようという決意がありました。
■そして再びALMAへ
--そして、先生は再びALMAに戻られましたね。
チリ観測所の所長をやってくれないか、という話が来たのです。その後は、日本とチリとの往復ですね。そもそも助手の頃は年8往復もしていました。チリは南半球。季節も時差も正反対。飛行機は片道1日半です。でも、時差ボケはありませんでしたね。お酒飲んでますので(笑)。
■宇宙研広報へ
--電波天文学と宇宙研とはちょっとつながりにくい感がするのですが…どのようなお考えで移られたんですか?
当時、ALMAの総務的な仕事に携わっていたのですが、開発に仕事の重点がシフトする中で人事が停滞するのはよくないという考えがありました。そこで、「外からプロジェクトをサポートできる者は外に出ろ」 ということになりまして。宇宙研広報は、的川先生が一手に引き受けてらっしゃいましたね。一般的な広報だけでなく、打ち上げに伴う漁業交渉なども。その後任として公募で私が選ばれたのです。漁業交渉にはお酒の席がつきものです。私は体育会系ですし、「お酒はなんぼでも飲みます」と(笑)。
--ここで「さけもっと先生」(Xアカウント)の登場ですね(笑)
「酒を飲む量は教授級」 でした。教授人事として正しかったかどうかはわかりませんが(笑)、今考えれば私に向いていたんですね。いも焼酎をストレートで飲んでいましたので、さすがの鹿児島の人たちもびっくりしていました
■広報は、組織にとっての細胞膜である
--阪本先生にとって広報とはどんなものでしょうか?
私は、広報というのは組織における細胞膜だと思うんです。細胞膜は、細胞の中と外を仕切り、またもののやり取りをする重要な役目を持っています。組織が外の情報を取り入れ、また組織の中の情報を出す、そして組織を壊さない。広報はそんな重要な役目を持つのです。また私自身にとっては、組織の中だけでなく、外の世界と触れ合えるということも大変楽しいことでした。
--わかります。私自身も、広報活動を楽しいと思うのは、中の世界とは違うものを私たちが吸収できるからなんですよね。
難しいことを難しい言葉で話してしまうのは、本質がわかっていないからだと思うんです。不正確であってもわかりやすく、本質を突いて説明する。そういうスキルが試されていると思うんです。場数を重ねたことが大きかったかも知れません。漁業者に対してもそうでしたね。
--漁業交渉も本当に大変だった…
誠意を持つこと、漁業者の立場に立って考えることがすごく重要でしたね。例えば、モジャコ。ブリの稚魚ですが、5月上旬に鹿児島沖を流れ藻について流れていくのをすくって養殖します。そこにロケットを打つわけにはいきません。また、9月1日は底引き網漁の解禁日です。こういうことを知っていないと大変なことになります。2013年のイプシロンロケット試験機の打ち上げでは、8月27日の予定が打ち上げできなかったことがありました。打ち上げ日程が9月上旬にずれ込む可能性があるとわかって、私もその足で現地(愛媛県)へ説明のために飛びました。八幡浜からトロール船が出るので。
--大変だ、とかそういう気持ちはありましたか?
いえ、特になかったですね。私自身そもそも優秀じゃなかった。それなのに研究者としても早めに就職させてもらった。その恩返しに泥臭いことは引き受けようという決意がありました。
■そして再びALMAへ
--そして、先生は再びALMAに戻られましたね。
チリ観測所の所長をやってくれないか、という話が来たのです。その後は、日本とチリとの往復ですね。そもそも助手の頃は年8往復もしていました。チリは南半球。季節も時差も正反対。飛行機は片道1日半です。でも、時差ボケはありませんでしたね。お酒飲んでますので(笑)。
日本製の12mアンテナを誇るALMAの山麓施設にて、阪本教授
日本製の12mアンテナを誇るALMAの山麓施設にて、阪本教授
■ALMAはここがすごい
--ALMAの 「ここがすごい」 というポイントは何でしょうか?
ミリ波・サブミリ波で世界最高の感度と解像度を持つことでしょうか。生まれたての星を観測するためにはこの高感度が欠かせません。ただ、ミリ波は大気中の水蒸気の影響を強く受けます。ですので、水蒸気が少なく安定した場所が必要になります。
--そこで、チリのアカタマ砂漠ということになったんですね。
そうです。このアタカマ砂漠は岩石が転がっている岩石砂漠というところで、私も場所選びの責任者として何度も足を運びながら 「火星もこんな感じなんだろうな」 と思ったりもしました。
■ALMAはここがすごい
--ALMAの 「ここがすごい」 というポイントは何でしょうか?
ミリ波・サブミリ波で世界最高の感度と解像度を持つことでしょうか。生まれたての星を観測するためにはこの高感度が欠かせません。ただ、ミリ波は大気中の水蒸気の影響を強く受けます。ですので、水蒸気が少なく安定した場所が必要になります。
--そこで、チリのアカタマ砂漠ということになったんですね。
そうです。このアタカマ砂漠は岩石が転がっている岩石砂漠というところで、私も場所選びの責任者として何度も足を運びながら 「火星もこんな感じなんだろうな」 と思ったりもしました。
アルマ望遠鏡 12mアンテナ 鏡面パネル
日本が開発したアルマ望遠鏡12mアンテナに使われている鏡面パネル。アルミニウムのブロックから切削で作られ、205枚を敷き詰めて直径12mのパラボラ面を構成している。展示されているパネルは、加工途中のもので、表面には切削のあとが残っている。実際には精密切削により表面はさらになめらかになり、12mの鏡面全体で理想的なパラボラ面からの誤差は、25μm(髪の毛の太さのおよそ1/3)になる。
アルマ望遠鏡 12mアンテナ 鏡面パネル
日本が開発したアルマ望遠鏡12mアンテナに使われている鏡面パネル。アルミニウムのブロックから切削で作られ、205枚を敷き詰めて直径12mのパラボラ面を構成している。展示されているパネルは、加工途中のもので、表面には切削のあとが残っている。実際には精密切削により表面はさらになめらかになり、12mの鏡面全体で理想的なパラボラ面からの誤差は、25μm(髪の毛の太さのおよそ1/3)になる。
■将来の夢は、もう実現した!?
--先生の将来の夢はどのようなものでしょうか?
難しいですね…もう実現しちゃっているかも知れませんね(笑)。後進を育てたいというところでしょうか。あと、ALMAのデータを使ってしっかりとした論文が書きたいですね。私自身、いつの間にかマネージメント層で最年長になってしまいましたし。
--若い人はマネージメントを嫌がる人も多いのでは?
いや、天文台に来るような研究者であれば、その点は理解していると思います。日本に帰ってきてからは、学生と研究の話もできるようになりました。ある日、大学生が声をかけてきて、「実は能代で、小学生の時に先生の講演を聞きました、一緒に研究したいです」 と。本当に自分の子供を見ているようですね。
■いろんな能力を活かし、様々な人が協力し合う
--宇宙開発や天文に関心がある方に、メッセージをお願いします。
難しいことを実行していくには、いろいろな能力が必要なんですよね。今私自身は、天文台長からのミッションとして、開発人材の育成の戦略を立てています。観測で得られたデータは大量にある。ただ、データ解析ばかりでは、その次のプロジェクトを担う人材がいなくなる。プロジェクト管理も重要です。
--天文だけでなく、様々な分野が協力し合うことが重要なんですね。
天文分野でもエンジニアの存在は重要です。でもこういうことはあまり知られていない。ものづくりはすごく大事、それを伝えていくことで、より多くのプレーヤーにこの世界に入ってきてもらいたいな、と思っています。
天文学者がすべてを行うのは、今はもう無理です。そういった時代の移り変わりの中で、新しいことをしていかないといけない。この記事をみている人は工学的な興味を持っている方が多いと思いますが、天文にも活躍する場は多いんだ、ということを伝えたいですね。
■将来の夢は、もう実現した!?
--先生の将来の夢はどのようなものでしょうか?
難しいですね…もう実現しちゃっているかも知れませんね(笑)。後進を育てたいというところでしょうか。あと、ALMAのデータを使ってしっかりとした論文が書きたいですね。私自身、いつの間にかマネージメント層で最年長になってしまいましたし。
--若い人はマネージメントを嫌がる人も多いのでは?
いや、天文台に来るような研究者であれば、その点は理解していると思います。日本に帰ってきてからは、学生と研究の話もできるようになりました。ある日、大学生が声をかけてきて、「実は能代で、小学生の時に先生の講演を聞きました、一緒に研究したいです」 と。本当に自分の子供を見ているようですね。
■いろんな能力を活かし、様々な人が協力し合う
--宇宙開発や天文に関心がある方に、メッセージをお願いします。
難しいことを実行していくには、いろいろな能力が必要なんですよね。今私自身は、天文台長からのミッションとして、開発人材の育成の戦略を立てています。観測で得られたデータは大量にある。ただ、データ解析ばかりでは、その次のプロジェクトを担う人材がいなくなる。プロジェクト管理も重要です。
--天文だけでなく、様々な分野が協力し合うことが重要なんですね。
天文分野でもエンジニアの存在は重要です。でもこういうことはあまり知られていない。ものづくりはすごく大事、それを伝えていくことで、より多くのプレーヤーにこの世界に入ってきてもらいたいな、と思っています。
天文学者がすべてを行うのは、今はもう無理です。そういった時代の移り変わりの中で、新しいことをしていかないといけない。この記事をみている人は工学的な興味を持っている方が多いと思いますが、天文にも活躍する場は多いんだ、ということを伝えたいですね。
左から 阪本教授、インタビュアー寺薗編集長
リポビタンD 指定医薬部外品 疲労回復、集中力の維持・改善
左から 阪本教授、インタビュアー寺薗編集長
リポビタンD 指定医薬部外品 疲労回復、集中力の維持・改善
<インタビューを終えて>
とある夏の日のインタビュー、阪本先生、顔が真っ黒に焼けていました。まさか今もボート部でボートを漕いでいるのかと思ったら、「いや、犬の散歩で」 とのことでした。阪本先生とはまさに広報分野で一緒に歩んできた仲。文中の「(笑)」の量で、どれだけ和やかな雰囲気でのインタビューだったかがおわかりいただけるかと思います。ただ、広報は組織の細胞膜である、そして様々な分野が協力し合うことの重要性は、広報という形で外の世界をみて、やり取りをし合ってきた阪本先生ならではの言葉だなと思いました。
今回はできませんでしたが、今回の続きはぜひ夜の酒の席で(笑)。
<インタビューを終えて>
とある夏の日のインタビュー、阪本先生、顔が真っ黒に焼けていました。まさか今もボート部でボートを漕いでいるのかと思ったら、「いや、犬の散歩で」 とのことでした。阪本先生とはまさに広報分野で一緒に歩んできた仲。文中の「(笑)」の量で、どれだけ和やかな雰囲気でのインタビューだったかがおわかりいただけるかと思います。ただ、広報は組織の細胞膜である、そして様々な分野が協力し合うことの重要性は、広報という形で外の世界をみて、やり取りをし合ってきた阪本先生ならではの言葉だなと思いました。
今回はできませんでしたが、今回の続きはぜひ夜の酒の席で(笑)。