1997年 4月 東北大学大学院博士号(理学)取得
1998年〜2003年 宇宙開発事業団 開発部員
2003年〜2020年 宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究所 助手・助教
2020年3月〜現在 会津大学コンピュータ理工学部 教授
宇宙科学事業団入社以降,「かぐや」「はやぶさ2」「SLIM」など月惑星探査機搭載用の観測機器の開発や主に月面分光画像の解析を行う。「SLIM」では観測機器開発をプロジェクトとして支援するペイロードマネージャを担当。現在は情報系宇宙人材の育成プログラムや,将来探査を想定したローバの走行実験用システムの構築なども手掛けている。
1997年 4月 東北大学大学院博士号(理学)取得
1998年〜2003年 宇宙開発事業団 開発部員
2003年〜2020年 宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究所 助手・助教
2020年3月〜現在 会津大学コンピュータ理工学部 教授
宇宙科学事業団入社以降,「かぐや」「はやぶさ2」「SLIM」など月惑星探査機搭載用の観測機器の開発や主に月面分光画像の解析を行う。「SLIM」では観測機器開発をプロジェクトとして支援するペイロードマネージャを担当。現在は情報系宇宙人材の育成プログラムや,将来探査を想定したローバの走行実験用システムの構築なども手掛けている。
2024.3.25
2024.3.25
■なんにでも興味を持ってしまった少女時代
--大竹さんは、お子さんの頃はどんな感じだったのですか?
とにかく、何かを集めたり調べたりするのが大好きな子どもでしたね。
小学校の頃からいろいろなものを集めるのが好きで、それでいろいろやらかして親を困らせていました。
--宇宙に興味を持ったきっかけは、どんなところからだったのでしょうか?
私は気づいたら「宇宙少女だった」という感じでしたね。
小学校か中学校かのとき、今後の日本の宇宙開発を紹介した内容の本を買ったところ、最後に宇宙飛行士の募集に関する応募書類のフォームが載っていて、それを見ていつか自分も応募したい、そのためには理系の大学に入らなければいけない、と思っていました。
--大竹さんは東北大学に入られましたね。
なんとなく、家から離れた新しい世界でいろいろなことに挑戦してみたいという気持ちはありましたが、この大学でこの研究がしてみたい、というほどの知識は無く、なんとなく、でした。学科に入って研究しているうちに、地球の古い岩石に興味を持つようになりました。
北極の近くにあるグリーンランドという大きな島にイスアと呼ばれる地域があります。
この地域では、地球で最も古い38億年前の堆積が露出していて、この岩石から地球初期の海洋環境などを知りたいと思っていました。その興味がその後、地球のでき方、さらには月と地球の関係についての研究につながっていったというわけです。
岩石をみていると、石の中に詰まっている歴史がわかります。自分たちが今生きているよりもずーっと昔の時間が石の中に凝縮され保存されている。そこに謎があり、それが研究により解けていく。時間や物質の移動など、視野のスケールを広げられる感覚が好きでした。
--でも、女性で地学科というのはその当時としてはかなり意外な感じがします。
そうでしたね。そもそも理学部全体で女性の比率は約1割でしたが、私の学年は女性の地学科が3名いたので、決してものすごく少なかったわけではないんです。女性3人で岩石が経てきた歴史を考えながら、露頭*をぼーっと眺めている、なんてこともありました。
*岩石や鉱脈の一部が地表に現れている所
■地球の岩石から、月の岩石へ
--イスアの世界最古の堆積岩から、月の岩石にも興味を持ったと。
地球ができてから46億年。そこから8億年の間に形成された岩石が地球ではどうやってもほぼ見つからないんですね。
私にとっては、地球がどのようにしてできたかを知るためには、38億年前の岩石は「若すぎる」のです。研究でも、38億年から先の情報を知るためどうすればいいのか、迷っていました。そこで、もっと古い岩石がある場所に行きたい…それが月だったというわけです。
--なるほど。月であれば古い岩石がありますね。
月には、40億年より前の岩石がたくさん残っていることがわかっています。「それってパラダイスやん?」と思いましたね。月に行けば、地球に残っていない情報がある。この8億年のギャップを埋めることができるはずだ。そんな思いから、月探査に興味を持ってきたのです。
■月探査機「かぐや」チームへ
--「かぐや」にはどのような経緯で入られたのですか?
知り合いの先生経由で、「岩石に詳しい人を探している」ということは聞いていました。それで、何かの形で携われれば、と思って応募しました。ただ、実際にどのようなことをするのかはよくわかっていませんでした。
「セレーネ(SELENE)*1」「リスム(LISM)*2」という単語を初めて聞いたのも、「かぐや」チームに入ってからでした。
*1 発足当時、「かぐや」はこのように呼ばれていた
*2 リスムとは「かぐや」に搭載された3台のカメラの総称。地形カメラ(TC)、マルチバンドイメージャ(MI)、スペクトルプロファイラ(SP)。大竹さんはマルチバンドイメージャの開発リーダー(PI)を務めた。
--イチからのチャレンジだったわけですね。
私自身、地球の岩石には詳しかったのですが、月の岩石のことは詳しく知らなかったですし、何より探査機や観測機器の開発については全然わからなかったんですね。イチからのチャレンジ、勉強だったわけです。
■慣れない月探査機の機器開発での苦労
--月探査機、しかも岩石を直接観測するのではなく、離れたところからリモートで観測する装置、さらには観測機器開発と、相当に苦労されたのではないでしょうか。
グリーンランドはアクセスしにくいとはいえ、行くことはできましたし、1ヶ月滞在して路頭を調べ、岩石を持ち帰ることもできました。でも月には行けない。遠くから眺めるだけです。
私たちの探査機は上空100キロから月面をみるわけです。ものすごく間接的なんですよね。
「月面に降りられれば早いのに、月面に行かずに調べるために、なんでこんなに面倒くさい検討をしなければいけないのか」と思ったこともあります。
--わかります。私も同じLISMチームに参加して、大竹さんの開発のご苦労をみていましたからね。
岩石を調べるとき、岩石学の流儀では岩石を採取して、その岩石を薄く切って薄片というものにして、偏光顕微鏡で調べます。石を溶かして成分を調べたりしたりもします。でも、月では…「かぐや」ではそんなことはできない。上空から光の色…スペクトルをみて、その岩石を調べなければならないのです。
大学のときとは流儀が全然違うんですよね。
--流儀が違う…
行って岩石を持って帰ってくればわかるものを、持って帰れないので遠くから分光で調べなければいけない。しかも私自身、分光は初めての分野でした。ですから、何冊も教科書を読んで勉強しました。
--観測機器開発そのものにもご苦労があったと思います。
世界で誰も見たことの無い細かさ(空間分解能)で月面を観測しようとしていて、その細かさで何が見えてくるのかわからないことがたくさんあるのに、「この石をこの精度で、この細かさでどうして調べなければいけないのか」という理由を定量的に説明しなければなりませんでした。「岩石の組織や化学組成をみたことがなく、岩石のどのような情報が重要なのかをイメージしづらい人に、どのようにわかりやすく、空間分解能や精度が科学成果に影響するのかを伝えていくか」ということも考えなければいけませんでした。
■そして、「かぐや」は月に向かった
--2007年、「かぐや」から最初にデータがやってきたときは、どのように感じましたか?
「やったー!」、まさにその一言でしたね。大感動でした。
でも一方で、「このデータは本当に月面から届いているのかな?」、そんな思いもありました。
もちろん、自分が観測装置を作ったわけですから、本当に決まっているんですが…。
でもなにしろ、データはリモートで送られてきます。観測も離れた場所から行うし、月から地球までも離れている。だから、どれだけ観測装置の開発や地上でのデータ処理系の細部まで、自分達で開発して理解していたにしても、最初はなんとなくピンとこない。いつまでも夢をみているような感じでした。
--でも、そのあとも大変でしたよね。
MIのチームリーダーとして、ただ「観測しました」ではいけなくて、ちゃんとしたデータ一式(データセット)を作り、研究者に提供しなければいけないのです。
それが、大変でした。取得したデータをそのまま提供するわけではありません。校正や補正という、生の観測データから本来の月面データを抽出したり、標準と比べて補正する何ステップもの処理作業があるのです。
それら処理パラメータを決めることも大変でしたし、しかもデータ量が当時としては膨大で処理時間もかかりました。空間分解能が従来より一桁上がるということは、そういった作業のレベルも一桁上がるわけです。打ち上げ前にもそれなりに準備をしていたつもりではあったのですが、いざそれに向き合い、しかも一方で観測運用は続けながら、また自身の解析研究も行いながらとなると、身を持って大変さを体験することになりました。
--データ量が増えると本当に処理が大変になりますよね…
マルチバンドイメージャは、名前の通り複数(マルチ)の波長(バンド)で測定したデータがあります。9つの波長で測定し、それぞれで校正を行わなければなりません。数字では理解していましたが、実際には大変な作業でした。
最終的に高次処理を施したデータセットを作り上げるまでに、数年の歳月を要することになりました。外からはみえない作業ですが、それをやれるのは開発チームしかいません。地道な作業です。
■なんにでも興味を持ってしまった少女時代
--大竹さんは、お子さんの頃はどんな感じだったのですか?
とにかく、何かを集めたり調べたりするのが大好きな子どもでしたね。
小学校の頃からいろいろなものを集めるのが好きで、それでいろいろやらかして親を困らせていました。
--宇宙に興味を持ったきっかけは、どんなところからだったのでしょうか?
私は気づいたら「宇宙少女だった」という感じでしたね。
小学校か中学校かのとき、今後の日本の宇宙開発を紹介した内容の本を買ったところ、最後に宇宙飛行士の募集に関する応募書類のフォームが載っていて、それを見ていつか自分も応募したい、そのためには理系の大学に入らなければいけない、と思っていました。
--大竹さんは東北大学に入られましたね。
なんとなく、家から離れた新しい世界でいろいろなことに挑戦してみたいという気持ちはありましたが、この大学でこの研究がしてみたい、というほどの知識は無く、なんとなく、でした。学科に入って研究しているうちに、地球の古い岩石に興味を持つようになりました。
北極の近くにあるグリーンランドという大きな島にイスアと呼ばれる地域があります。
この地域では、地球で最も古い38億年前の堆積が露出していて、この岩石から地球初期の海洋環境などを知りたいと思っていました。その興味がその後、地球のでき方、さらには月と地球の関係についての研究につながっていったというわけです。
岩石をみていると、石の中に詰まっている歴史がわかります。自分たちが今生きているよりもずーっと昔の時間が石の中に凝縮され保存されている。そこに謎があり、それが研究により解けていく。時間や物質の移動など、視野のスケールを広げられる感覚が好きでした。
--でも、女性で地学科というのはその当時としてはかなり意外な感じがします。
そうでしたね。そもそも理学部全体で女性の比率は約1割でしたが、私の学年は女性の地学科が3名いたので、決してものすごく少なかったわけではないんです。女性3人で岩石が経てきた歴史を考えながら、露頭*をぼーっと眺めている、なんてこともありました。
*岩石や鉱脈の一部が地表に現れている所
■地球の岩石から、月の岩石へ
--イスアの世界最古の堆積岩から、月の岩石にも興味を持ったと。
地球ができてから46億年。そこから8億年の間に形成された岩石が地球ではどうやってもほぼ見つからないんですね。
私にとっては、地球がどのようにしてできたかを知るためには、38億年前の岩石は「若すぎる」のです。研究でも、38億年から先の情報を知るためどうすればいいのか、迷っていました。そこで、もっと古い岩石がある場所に行きたい…それが月だったというわけです。
--なるほど。月であれば古い岩石がありますね。
月には、40億年より前の岩石がたくさん残っていることがわかっています。「それってパラダイスやん?」と思いましたね。月に行けば、地球に残っていない情報がある。この8億年のギャップを埋めることができるはずだ。そんな思いから、月探査に興味を持ってきたのです。
■月探査機「かぐや」チームへ
--「かぐや」にはどのような経緯で入られたのですか?
知り合いの先生経由で、「岩石に詳しい人を探している」ということは聞いていました。それで、何かの形で携われれば、と思って応募しました。ただ、実際にどのようなことをするのかはよくわかっていませんでした。
「セレーネ(SELENE)*1」「リスム(LISM)*2」という単語を初めて聞いたのも、「かぐや」チームに入ってからでした。
*1 発足当時、「かぐや」はこのように呼ばれていた
*2 リスムとは「かぐや」に搭載された3台のカメラの総称。地形カメラ(TC)、マルチバンドイメージャ(MI)、スペクトルプロファイラ(SP)。大竹さんはマルチバンドイメージャの開発リーダー(PI)を務めた。
--イチからのチャレンジだったわけですね。
私自身、地球の岩石には詳しかったのですが、月の岩石のことは詳しく知らなかったですし、何より探査機や観測機器の開発については全然わからなかったんですね。イチからのチャレンジ、勉強だったわけです。
■慣れない月探査機の機器開発での苦労
--月探査機、しかも岩石を直接観測するのではなく、離れたところからリモートで観測する装置、さらには観測機器開発と、相当に苦労されたのではないでしょうか。
グリーンランドはアクセスしにくいとはいえ、行くことはできましたし、1ヶ月滞在して路頭を調べ、岩石を持ち帰ることもできました。でも月には行けない。遠くから眺めるだけです。
私たちの探査機は上空100キロから月面をみるわけです。ものすごく間接的なんですよね。
「月面に降りられれば早いのに、月面に行かずに調べるために、なんでこんなに面倒くさい検討をしなければいけないのか」と思ったこともあります。
--わかります。私も同じLISMチームに参加して、大竹さんの開発のご苦労をみていましたからね。
岩石を調べるとき、岩石学の流儀では岩石を採取して、その岩石を薄く切って薄片というものにして、偏光顕微鏡で調べます。石を溶かして成分を調べたりしたりもします。でも、月では…「かぐや」ではそんなことはできない。上空から光の色…スペクトルをみて、その岩石を調べなければならないのです。
大学のときとは流儀が全然違うんですよね。
--流儀が違う…
行って岩石を持って帰ってくればわかるものを、持って帰れないので遠くから分光で調べなければいけない。しかも私自身、分光は初めての分野でした。ですから、何冊も教科書を読んで勉強しました。
--観測機器開発そのものにもご苦労があったと思います。
世界で誰も見たことの無い細かさ(空間分解能)で月面を観測しようとしていて、その細かさで何が見えてくるのかわからないことがたくさんあるのに、「この石をこの精度で、この細かさでどうして調べなければいけないのか」という理由を定量的に説明しなければなりませんでした。「岩石の組織や化学組成をみたことがなく、岩石のどのような情報が重要なのかをイメージしづらい人に、どのようにわかりやすく、空間分解能や精度が科学成果に影響するのかを伝えていくか」ということも考えなければいけませんでした。
■そして、「かぐや」は月に向かった
--2007年、「かぐや」から最初にデータがやってきたときは、どのように感じましたか?
「やったー!」、まさにその一言でしたね。大感動でした。
でも一方で、「このデータは本当に月面から届いているのかな?」、そんな思いもありました。
もちろん、自分が観測装置を作ったわけですから、本当に決まっているんですが…。
でもなにしろ、データはリモートで送られてきます。観測も離れた場所から行うし、月から地球までも離れている。だから、どれだけ観測装置の開発や地上でのデータ処理系の細部まで、自分達で開発して理解していたにしても、最初はなんとなくピンとこない。いつまでも夢をみているような感じでした。
--でも、そのあとも大変でしたよね。
MIのチームリーダーとして、ただ「観測しました」ではいけなくて、ちゃんとしたデータ一式(データセット)を作り、研究者に提供しなければいけないのです。
それが、大変でした。取得したデータをそのまま提供するわけではありません。校正や補正という、生の観測データから本来の月面データを抽出したり、標準と比べて補正する何ステップもの処理作業があるのです。
それら処理パラメータを決めることも大変でしたし、しかもデータ量が当時としては膨大で処理時間もかかりました。空間分解能が従来より一桁上がるということは、そういった作業のレベルも一桁上がるわけです。打ち上げ前にもそれなりに準備をしていたつもりではあったのですが、いざそれに向き合い、しかも一方で観測運用は続けながら、また自身の解析研究も行いながらとなると、身を持って大変さを体験することになりました。
--データ量が増えると本当に処理が大変になりますよね…
マルチバンドイメージャは、名前の通り複数(マルチ)の波長(バンド)で測定したデータがあります。9つの波長で測定し、それぞれで校正を行わなければなりません。数字では理解していましたが、実際には大変な作業でした。
最終的に高次処理を施したデータセットを作り上げるまでに、数年の歳月を要することになりました。外からはみえない作業ですが、それをやれるのは開発チームしかいません。地道な作業です。
■セレーネ2、そしてSLIMへ
--ここまでやると、大竹さんとしてはどうしてもごく近くで月の岩石をみたくなるのではないですか?
「かぐや」が打ち上がったとき、すでに次の計画「セレーネ2」がありました。月に着陸し、すぐ近くから岩石を調べる計画です。
さらにはその先にはサンプルリターン、という話もありました。
ローバーや着陸機に分光カメラを載せるという計画もあり、実際に検討していました。
--でも、セレーネ2はうまくいかなかった。
なかなかミッションになりませんでしたね。結局、途中で中止となってしまう。
そんな中、月面でのピンポイント着陸を目指す小型月着陸実証機SLIMという計画の検討が進み、搭載する観測機器の公募が発出されました。「今度こそチャンスだ!」と思いました。
佐伯さん(佐伯和人・立命館大学教授。このインタビュー企画にも登場済)が着陸機に搭載する分光カメラの開発を提案しました。MBC(マルチバンドカメラ)というものですね。
私はSLIMプロジェクトでは、観測機器の開発やデータ解析がスムーズに行えるように、さまざまな支援を行う「ペイロードマネージャ」を担当しました。観測機器開発の部分だけでなく、プロジェクトの視点でも探査に関わることができ、新たに勉強することも多かったです。
--またご苦労も多かったのではないですか?
MBCの開発では重量の制限がものすごくきつかったです。何しろMBCは重さがたった4キログラムほど。機器は小さくても最大のサイエンスを実現しなければならない。
重量を削るときには、1グラムどころか百ミリグラム、さらには数十ミリグラムという単位で削ることになりました。削減量はごくごく小さくても、「チリも積もれば」というわけですね。
しかも、あんなに小さい(衛星外部に搭載される部分で約200x460x200 mm)MBCに4つ「も」モーターが搭載されているため、パズルのような配置になる部分もあり、開発にはみんなで頭を抱えながら臨むことになりました。
--SLIMの着陸点は、「かぐや」のデータによって「カンラン岩が出ている場所」であるということがわかっていましたよね。そこに降りる形で決めたのでしょうか?
そうです。月面でカンラン岩が露出している場所のどこかに降りるということは決めていましたが、工学的な制約もあります。工学と理学の両方の折り合いがつけられるところを決めるのも、それはまた大変でした。
最終的に決まった着陸点は傾斜が数度ある場所ですが、その他の場所となるともっと厳しい条件でした。「何とか両者が折り合いをつけられる場所」がここだったのです。
■そして、月面着陸成功…しかし
--SLIMは月面着陸に成功しましたが、当初はトラブルもありましたね。
着陸のときは運用室にいました。SLIMの状況を聞いて、管制室に呼ばれて、そのまま張り付いて一気に作業しました。本当に緊張していました。必死という言葉では表現できないくらいでした。とにかく時間が足りない。1秒でももったいない。時間との戦いでした。
--あのとき、原因究明よりもデータ取得を優先させたというのは素晴らしい判断だったと思います。
私たちも本当にSLIMプロジェクトや関係者の皆様に感謝しています。MBCが正常に観測できない可能性がある中で、私たちにチャンスを与えて下さったわけですから。
--でも、SLIMは復活を果たす…
1月20日の着陸時点では、目指していたマルチバンド観測は時間がなくて、できませんでした。正直、青ざめました。これで終わってしまったら、8年間の努力と苦労、関わってくださったみんなの時間が無駄になってしまうからです。
僅かな可能性かも知れないが、SLIMとの交信をずっと待っていました。月のみえ方に応じて生活しますから、午後に起き出して夜の運用に備え、交信ができたらすぐにMBCの観測に移れるようスタンバイして固唾を呑んで信号を待つ、明け方まで待ち続けてやっぱりだめ。SLIMプロジェクトの皆さんがMBCの観測のために連日頑張ってくださっているのはわかっていましたし、チームメンバにも疲れが見えて、辛かったです。そして8日目、ついに交信に成功しました。
「やったー!」と思いました。まさに、管制室にいた全員が飛び上がるほどの歓喜の瞬間でした。あの光景は忘れられません。
この日は日曜日で、最初は運用メンバーの数も少なかったのですが、交信再開の連絡に笑顔いっぱいのメンバーが次々と増えて、頼もしく思えました。
後日、月面が夜を迎えてMBCは無事に観測を終えた後、その場にいたみんなを呼んで記念撮影をしました。みんなが満面の笑みで写真に写っていました。
■セレーネ2、そしてSLIMへ
--ここまでやると、大竹さんとしてはどうしてもごく近くで月の岩石をみたくなるのではないですか?
「かぐや」が打ち上がったとき、すでに次の計画「セレーネ2」がありました。月に着陸し、すぐ近くから岩石を調べる計画です。
さらにはその先にはサンプルリターン、という話もありました。
ローバーや着陸機に分光カメラを載せるという計画もあり、実際に検討していました。
--でも、セレーネ2はうまくいかなかった。
なかなかミッションになりませんでしたね。結局、途中で中止となってしまう。
そんな中、月面でのピンポイント着陸を目指す小型月着陸実証機SLIMという計画の検討が進み、搭載する観測機器の公募が発出されました。「今度こそチャンスだ!」と思いました。
佐伯さん(佐伯和人・立命館大学教授。このインタビュー企画にも登場済)が着陸機に搭載する分光カメラの開発を提案しました。MBC(マルチバンドカメラ)というものですね。
私はSLIMプロジェクトでは、観測機器の開発やデータ解析がスムーズに行えるように、さまざまな支援を行う「ペイロードマネージャ」を担当しました。観測機器開発の部分だけでなく、プロジェクトの視点でも探査に関わることができ、新たに勉強することも多かったです。
--またご苦労も多かったのではないですか?
MBCの開発では重量の制限がものすごくきつかったです。何しろMBCは重さがたった4キログラムほど。機器は小さくても最大のサイエンスを実現しなければならない。
重量を削るときには、1グラムどころか百ミリグラム、さらには数十ミリグラムという単位で削ることになりました。削減量はごくごく小さくても、「チリも積もれば」というわけですね。
しかも、あんなに小さい(衛星外部に搭載される部分で約200x460x200 mm)MBCに4つ「も」モーターが搭載されているため、パズルのような配置になる部分もあり、開発にはみんなで頭を抱えながら臨むことになりました。
--SLIMの着陸点は、「かぐや」のデータによって「カンラン岩が出ている場所」であるということがわかっていましたよね。そこに降りる形で決めたのでしょうか?
そうです。月面でカンラン岩が露出している場所のどこかに降りるということは決めていましたが、工学的な制約もあります。工学と理学の両方の折り合いがつけられるところを決めるのも、それはまた大変でした。
最終的に決まった着陸点は傾斜が数度ある場所ですが、その他の場所となるともっと厳しい条件でした。「何とか両者が折り合いをつけられる場所」がここだったのです。
■そして、月面着陸成功…しかし
--SLIMは月面着陸に成功しましたが、当初はトラブルもありましたね。
着陸のときは運用室にいました。SLIMの状況を聞いて、管制室に呼ばれて、そのまま張り付いて一気に作業しました。本当に緊張していました。必死という言葉では表現できないくらいでした。とにかく時間が足りない。1秒でももったいない。時間との戦いでした。
--あのとき、原因究明よりもデータ取得を優先させたというのは素晴らしい判断だったと思います。
私たちも本当にSLIMプロジェクトや関係者の皆様に感謝しています。MBCが正常に観測できない可能性がある中で、私たちにチャンスを与えて下さったわけですから。
--でも、SLIMは復活を果たす…
1月20日の着陸時点では、目指していたマルチバンド観測は時間がなくて、できませんでした。正直、青ざめました。これで終わってしまったら、8年間の努力と苦労、関わってくださったみんなの時間が無駄になってしまうからです。
僅かな可能性かも知れないが、SLIMとの交信をずっと待っていました。月のみえ方に応じて生活しますから、午後に起き出して夜の運用に備え、交信ができたらすぐにMBCの観測に移れるようスタンバイして固唾を呑んで信号を待つ、明け方まで待ち続けてやっぱりだめ。SLIMプロジェクトの皆さんがMBCの観測のために連日頑張ってくださっているのはわかっていましたし、チームメンバにも疲れが見えて、辛かったです。そして8日目、ついに交信に成功しました。
「やったー!」と思いました。まさに、管制室にいた全員が飛び上がるほどの歓喜の瞬間でした。あの光景は忘れられません。
この日は日曜日で、最初は運用メンバーの数も少なかったのですが、交信再開の連絡に笑顔いっぱいのメンバーが次々と増えて、頼もしく思えました。
後日、月面が夜を迎えてMBCは無事に観測を終えた後、その場にいたみんなを呼んで記念撮影をしました。みんなが満面の笑みで写真に写っていました。
--「かぐや」からこれまでのことが思い出されたのではないですか?
歓喜の瞬間は…1秒か2秒くらいでしたね。歓喜に浸っている時間はなくて…「やったー!」の手を下ろした次の瞬間には直ちにMBCの運用に入り、コマンド送信の体制に入っていましたね。
--「かぐや」のときは時間との戦いはなかったですよね
「かぐや」のときは予定通りに観測を行ったので余裕があって、時間との戦いはなかったですが、今回は時間との戦い。これが全く違いましたね。
■そして、次の計画へ
--大竹さんのこれからの目標を教えてください。
実際私の目標は昔からあまり変わっていないのですが、月表面の岩石の種類や化学組成を知ること。今回のMBCでは「かぐや」に比べるとうんと近くなったのですが、それでもまだ距離があります。そして、動けませんでした。本当はもっと近くで見たいんです。
そこで、次の月面ミッションである月極域探査機ルペックス(LUPEX)では、ローバーにカメラを搭載し、分光観測を行うことを目指しています。
その次はサンプルリターン。サンプルをとってくれば、直接岩や石の成分を測定できますからね。
私が貢献できることは限られていますが、これまで同様、たくさんの仲間と一緒に、ステップを積み重ねていきたいと思います。
■どんな形でも、宇宙に関わるチャンスはある
--SLIMは多くの方から支援をもらいましたね。
SLIMは本当に皆様からの応援の力がすごくありがたかったです。ありがとうございました。
皆さんの応援は、私たちにとって大きな力になっています。SLIMで観測対象の岩に犬の名前をつけたら、可愛い犬を描いたイラストをたくさん送っていただきました。運用再開までの辛い時に、送っていただいたイラストを運用室に貼って、勇気づけられました。
私たちは、この後もMBCによるデータの解析を続け、科学成果を出していく予定です。今後もぜひ応援をいただけるとありがたいです。
--「かぐや」からこれまでのことが思い出されたのではないですか?
歓喜の瞬間は…1秒か2秒くらいでしたね。歓喜に浸っている時間はなくて…「やったー!」の手を下ろした次の瞬間には直ちにMBCの運用に入り、コマンド送信の体制に入っていましたね。
--「かぐや」のときは時間との戦いはなかったですよね
「かぐや」のときは予定通りに観測を行ったので余裕があって、時間との戦いはなかったですが、今回は時間との戦い。これが全く違いましたね。
■そして、次の計画へ
--大竹さんのこれからの目標を教えてください。
実際私の目標は昔からあまり変わっていないのですが、月表面の岩石の種類や化学組成を知ること。今回のMBCでは「かぐや」に比べるとうんと近くなったのですが、それでもまだ距離があります。そして、動けませんでした。本当はもっと近くで見たいんです。
そこで、次の月面ミッションである月極域探査機ルペックス(LUPEX)では、ローバーにカメラを搭載し、分光観測を行うことを目指しています。
その次はサンプルリターン。サンプルをとってくれば、直接岩や石の成分を測定できますからね。
私が貢献できることは限られていますが、これまで同様、たくさんの仲間と一緒に、ステップを積み重ねていきたいと思います。
■どんな形でも、宇宙に関わるチャンスはある
--SLIMは多くの方から支援をもらいましたね。
SLIMは本当に皆様からの応援の力がすごくありがたかったです。ありがとうございました。
皆さんの応援は、私たちにとって大きな力になっています。SLIMで観測対象の岩に犬の名前をつけたら、可愛い犬を描いたイラストをたくさん送っていただきました。運用再開までの辛い時に、送っていただいたイラストを運用室に貼って、勇気づけられました。
私たちは、この後もMBCによるデータの解析を続け、科学成果を出していく予定です。今後もぜひ応援をいただけるとありがたいです。
--これから宇宙分野を目指そうとする若い人に、ぜひメッセージをお願いします。
講演会などで、よく「宇宙に関わるためにはJAXAに入るしかないんでしょ?」といわれます。しかしそうではありません。大学はもちろんのこと、宇宙機の開発を行う企業や、さらにはベンチャー企業という選択肢もあります。
大学も企業もJAXAも、みんなが協力してミッションが成り立っています。そして、どこにいてもどんな形でも、ミッションに関わるチャンスはあります。
ぜひ広い視野でチャレンジしてみてください。
--これから宇宙分野を目指そうとする若い人に、ぜひメッセージをお願いします。
講演会などで、よく「宇宙に関わるためにはJAXAに入るしかないんでしょ?」といわれます。しかしそうではありません。大学はもちろんのこと、宇宙機の開発を行う企業や、さらにはベンチャー企業という選択肢もあります。
大学も企業もJAXAも、みんなが協力してミッションが成り立っています。そして、どこにいてもどんな形でも、ミッションに関わるチャンスはあります。
ぜひ広い視野でチャレンジしてみてください。
<インタビューを終えて>
大竹さんは、「かぐや」ミッションを通して私とも一緒に頑張ってきた研究者です。眼の前で本当にご苦労をされて、でもミッションを貫いてきた、本当に心の強い方だと思います。その心の強さには、ご自身が目指している「モノを知りたい」という強い思いがあるのだと感じます。SLIMはまさに、彼女が目指したものが結実し「た」のかと思いますが、それを過去形にはできません。まだまだこれからやることはあります。月の石を持って帰ってきて、大竹さんと一緒に研究のまな板にぜひ乗せて、大竹さんの「やったー!」という声を聞きたいと思います。
<インタビューを終えて>
大竹さんは、「かぐや」ミッションを通して私とも一緒に頑張ってきた研究者です。眼の前で本当にご苦労をされて、でもミッションを貫いてきた、本当に心の強い方だと思います。その心の強さには、ご自身が目指している「モノを知りたい」という強い思いがあるのだと感じます。SLIMはまさに、彼女が目指したものが結実し「た」のかと思いますが、それを過去形にはできません。まだまだこれからやることはあります。月の石を持って帰ってきて、大竹さんと一緒に研究のまな板にぜひ乗せて、大竹さんの「やったー!」という声を聞きたいと思います。