1962年徳島県生まれ。1991年、東京大学大学院理学系研究科鉱物学専攻博士修了。1991~1994年に科学技術庁航空宇宙技術研究所特別研究員を務めた後、 1995~2005年、西松建設(株)技術研究所に勤続。2005年、JAXA宇宙科学研究本部の招聘研究員(「はやぶさ」プロジェクトチーム主任研究員)となる。 その後、東海大学研究員、鹿島建設技術研究所上席研究員などを経て2020年より合同会社ムーン・アンド・プラネッツにて調査研究を担当。2022年2月、 「本気で考える火星の住み方」を出版。2003年には、小惑星8941junsaitoが命名された。
1962年徳島県生まれ。1991年、東京大学大学院理学系研究科鉱物学専攻博士修了。1991~1994年に科学技術庁航空宇宙技術研究所特別研究員を務めた後、 1995~2005年、西松建設(株)技術研究所に勤続。2005年、JAXA宇宙科学研究本部の招聘研究員(「はやぶさ」プロジェクトチーム主任研究員)となる。 その後、東海大学研究員、鹿島建設技術研究所上席研究員などを経て2020年より合同会社ムーン・アンド・プラネッツにて調査研究を担当。2022年2月、 「本気で考える火星の住み方」を出版。2003年には、小惑星8941junsaitoが命名された。
2022.3.31
2022.3.31
──宇宙の世界に興味を持ったきっかけを教えて下さい。
私、実はアポロ11号の着陸をリアルタイムの中継で見ていたんです。小学校2年生のときでした。全てはここから始まっていると思います。
年が離れたいとこが北海道大学の地球物理分野に進んだのです。それを見て、「研究者」ってこういうものだ、というイメージができてきましたね。 でも、両親からいわれたのは、「大学は家から通える国公立にしなさい」。それで天文分野となると、もう東京大学しかないのです。どうすれば効率よく勉強できるか、 学ぶために時間をかけました。
──これまで、どのような研究や仕事に携わってきましたか?
無事、東大に進学はできたのですが、天文分野には進めませんでした。そんなときに、月の石を研究されている武田弘先生に出会い、鉱物学分野に進むことに決めました。
アポロ計画は巨大なミッションです。研究を進めていく過程で、月・惑星探査ミッションそのものに興味を抱きました。そんな中、武田先生に「そんなにミッションが好きだったら」 と誘われたのが、小惑星探査機「はやぶさ」のそもそものスタートになった、1985年の「小惑星サンプルリターン小研究会」だったのです。大学4年生のときでした。
鉄隕石の研究で博士号をとり、その研究の縁で航空宇宙技術研究所(当時。現在はJAXAに統合)に入りました。ここで反射スペクトルの研究をしていました。 その立場で、「はやぶさ」につながる小惑星探査ワーキンググループにも参加していました。
──小惑星探査機「はやぶさ」での印象や思い出を教えて下さい。
やはり、カメラの総合試験でしょうか。何しろはじめてのことで、全てが手探りでした。ただ、いろいろな分野からメンバーが集まったことで、それこそいろいろなアイデアが出てきました。
私の仕事はチームビルディングだったと思っています。いろいろな分野で秀でている人間を集め、一つの方向に進むようにチームを束ねていくことです。 ただ、広い分野の人がいるということは、やりたいことも守備範囲もものすごく広くなる。本当に大変でした。
──齋藤さんはお仕事をされながら惑星探査ミッションを進めてこられました。どのようなご苦労がありましたでしょうか?
会社に所属しながら惑星探査を進めるというのは本当にバランスが難しいことかと思います。会社には会社本来の業務がありますから、会社ではそちらを優先する。 しかし、必要なときにはミッションの仕事もする。会社の中でも私の動きをあと押してくれた人がいましたから、そういった人に感謝しつつ動きやすいように調整をしていくことが必要でした。
今の日本の会社はあまりそういった「会社の本来の仕事とは別のこと」に社員が力を割く余裕を持たせてくれないかもしれませんね。 そういう意味では、あのときのあの環境だからこそできたことかも知れません。
──最近、齋藤さんが上梓された本『本気で考える 火星の住み方』についてぜひ、伝えたい思いなどを教えて下さい。
今回の書籍は、いまの宇宙開発の動向を見ながら、有人惑星探査の最新状況を展望してみたものです。
これから火星に人が住む時代が来るでしょうが、地表に住むということは考えられません。なぜなら巨大な砂嵐が襲う可能性があるからです。
それは100年に1回かも知れない。実際ここ30年ほど、私たちはそのような砂嵐に出会っていません。でも、私たちはそれを想定する必要があります。 「はやぶさ」がそうであったように、いろいろな危険を想定し、それに出会った際に回避・リスクを低減するシナリオを考えていくことが必要です。
──今後挑戦したいこと、いま興味をもっていることなどを教えて下さい。
私自身は、今後のために宇宙開発の将来に対して問題提起をし続けていかなければいけないと思っています。
いま、宇宙開発には民間、それもベンチャー企業が次々に出てきていて、彼らが主役になっているといってもいいでしょう。でも、私はそれが全てではないと思っています。 投資を募って純粋なサイエンスを追求するのは難しいでしょう。
こういうことをいうと、世の中の風潮にNOを突きつけてしまうようになってしまうかも知れませんが、私自身はやはり、純粋なサイエンスの追求というものを大切にしていきたいですね。
──宇宙開発分野に進もうとしている若い人たちへのアドバイスをお願いします。
いまや、組織に入り、ただ順応して生きていくという時代ではありません。自分がやりたいことは何か、そしてそれを組織の中でどう実現させていくか。それを考えていくことが必要です。 そのためにはしたたかでなければいけません。
組織の外に出て自分をアピールしてきたら、組織に対しての何らかのリターンを持って帰ってきましょう。そのリターンは形あるものとは限りません。 知名度のような形がないものであることもあるでしょう。自分が何をやりたいのか。どう考え、どう周りを説得するのか。賢く生き抜き、したたかに駆け抜けることが必要です。
──宇宙の世界に興味を持ったきっかけを教えて下さい。
私、実はアポロ11号の着陸をリアルタイムの中継で見ていたんです。小学校2年生のときでした。全てはここから始まっていると思います。
年が離れたいとこが北海道大学の地球物理分野に進んだのです。それを見て、「研究者」ってこういうものだ、というイメージができてきましたね。 でも、両親からいわれたのは、「大学は家から通える国公立にしなさい」。それで天文分野となると、もう東京大学しかないのです。どうすれば効率よく勉強できるか、 学ぶために時間をかけました。
──これまで、どのような研究や仕事に携わってきましたか?
無事、東大に進学はできたのですが、天文分野には進めませんでした。そんなときに、月の石を研究されている武田弘先生に出会い、鉱物学分野に進むことに決めました。
アポロ計画は巨大なミッションです。研究を進めていく過程で、月・惑星探査ミッションそのものに興味を抱きました。そんな中、武田先生に「そんなにミッションが好きだったら」 と誘われたのが、小惑星探査機「はやぶさ」のそもそものスタートになった、1985年の「小惑星サンプルリターン小研究会」だったのです。大学4年生のときでした。
鉄隕石の研究で博士号をとり、その研究の縁で航空宇宙技術研究所(当時。現在はJAXAに統合)に入りました。ここで反射スペクトルの研究をしていました。 その立場で、「はやぶさ」につながる小惑星探査ワーキンググループにも参加していました。
──小惑星探査機「はやぶさ」での印象や思い出を教えて下さい。
やはり、カメラの総合試験でしょうか。何しろはじめてのことで、全てが手探りでした。ただ、いろいろな分野からメンバーが集まったことで、それこそいろいろなアイデアが出てきました。
私の仕事はチームビルディングだったと思っています。いろいろな分野で秀でている人間を集め、一つの方向に進むようにチームを束ねていくことです。 ただ、広い分野の人がいるということは、やりたいことも守備範囲もものすごく広くなる。本当に大変でした。
──齋藤さんはお仕事をされながら惑星探査ミッションを進めてこられました。どのようなご苦労がありましたでしょうか?
会社に所属しながら惑星探査を進めるというのは本当にバランスが難しいことかと思います。会社には会社本来の業務がありますから、会社ではそちらを優先する。 しかし、必要なときにはミッションの仕事もする。会社の中でも私の動きをあと押してくれた人がいましたから、そういった人に感謝しつつ動きやすいように調整をしていくことが必要でした。
今の日本の会社はあまりそういった「会社の本来の仕事とは別のこと」に社員が力を割く余裕を持たせてくれないかもしれませんね。 そういう意味では、あのときのあの環境だからこそできたことかも知れません。
──最近、齋藤さんが上梓された本『本気で考える 火星の住み方』についてぜひ、伝えたい思いなどを教えて下さい。
今回の書籍は、いまの宇宙開発の動向を見ながら、有人惑星探査の最新状況を展望してみたものです。
これから火星に人が住む時代が来るでしょうが、地表に住むということは考えられません。なぜなら巨大な砂嵐が襲う可能性があるからです。
それは100年に1回かも知れない。実際ここ30年ほど、私たちはそのような砂嵐に出会っていません。でも、私たちはそれを想定する必要があります。 「はやぶさ」がそうであったように、いろいろな危険を想定し、それに出会った際に回避・リスクを低減するシナリオを考えていくことが必要です。
──今後挑戦したいこと、いま興味をもっていることなどを教えて下さい。
私自身は、今後のために宇宙開発の将来に対して問題提起をし続けていかなければいけないと思っています。
いま、宇宙開発には民間、それもベンチャー企業が次々に出てきていて、彼らが主役になっているといってもいいでしょう。でも、私はそれが全てではないと思っています。 投資を募って純粋なサイエンスを追求するのは難しいでしょう。
こういうことをいうと、世の中の風潮にNOを突きつけてしまうようになってしまうかも知れませんが、私自身はやはり、純粋なサイエンスの追求というものを大切にしていきたいですね。
──宇宙開発分野に進もうとしている若い人たちへのアドバイスをお願いします。
いまや、組織に入り、ただ順応して生きていくという時代ではありません。自分がやりたいことは何か、そしてそれを組織の中でどう実現させていくか。それを考えていくことが必要です。 そのためにはしたたかでなければいけません。
組織の外に出て自分をアピールしてきたら、組織に対しての何らかのリターンを持って帰ってきましょう。そのリターンは形あるものとは限りません。 知名度のような形がないものであることもあるでしょう。自分が何をやりたいのか。どう考え、どう周りを説得するのか。賢く生き抜き、したたかに駆け抜けることが必要です。
<編集長からの一言>
いよいよ、長年の盟友、齋藤潤さんとのインタビューが実現しました。初代「はやぶさ」で一緒に戦い、まさにあのリポビタンDのエピソード(https://bit.ly/2QWeKzx) を一緒に「やってしまった」2人です。「はやぶさ」の前にもあとにも、2人にはいろいろなことがあり、いまもまたそのいろいろは続いています。 今回の書籍は、齋藤さんにとってのまさに新たなチャレンジともいえるでしょう。これからの私たちの挑戦にも、ぜひご期待くださいね。
<編集長からの一言>
いよいよ、長年の盟友、齋藤潤さんとのインタビューが実現しました。初代「はやぶさ」で一緒に戦い、まさにあのリポビタンDのエピソード(https://bit.ly/2QWeKzx) を一緒に「やってしまった」2人です。「はやぶさ」の前にもあとにも、2人にはいろいろなことがあり、いまもまたそのいろいろは続いています。 今回の書籍は、齋藤さんにとってのまさに新たなチャレンジともいえるでしょう。これからの私たちの挑戦にも、ぜひご期待くださいね。